ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7087,閑話小題 〜コロナ禍を金価格から見る
のが初な男! 人類の永遠のテーマ? でも、何故か、何れのステージでも、
美女に恵まれていた! 4人の姉の基準があったお陰ですか。 いや、逆か?
ところで、小泉進次郎と… 何、あれ? お似合い過ぎて、嫉妬が湧き上がる?
・・・・・・
6357,閑話小題 〜つれづれに哲学=言語ゲーム
2018年08月09日(木)
* 日常生活の中で言語を考える!
1日1テーマで、文章を書上げ、ここに提示しているが、これはテーマ探しから、
起承転結の文を書上げ、推敲し、完成に至るゲームでもある。毎日、何か黒い影
に追いたてられている感覚になるが、これも慣れ。気ままに、ゲーム感覚で、思い
のままにテーマを決めて、論理を組みたてる遊び。どうしても、過去の話に捉われ
がちになるが、前向きな創造的内容も多くある。 5年、10年、17年間、読み続けて
いる読者(自分も含め)に向け書いている点でゲームに近い。
ウィトゲンシュタインとは少し意味合いが違う。彼は日常用語に注目し、
諸活動に織り込まれた言語に注目し、分析する。 〜その幾つかを紹介する〜
≪ 言語ゲームとは、言語哲学者ウィトゲンシュタインの用語。
彼は言語を、「命令する」「演劇をする」「ジョークを作って話す」などの、
諸々の活動に織り合わされたものとして考察した。
このような言語を伴った諸活動が、言語ゲームと呼ばれる(『哲学探究』1953年〉)。
そこには「言語に先立って個人の内的感覚や客観的事実があらかじめ存在しており、
言語はそれを写し取る道具である」とする古典的言語観を解体しようとする意図がある。
・言語が客観的事実を描写するとしても、それは単に事態を写すのではなく、例えば
火事を知らせる場合のように、「自己や他者に対するなんらかの活動」なのである。
・第2に、言語による表現は、人々の間に共有されたルールにもとづくものとされる。
個人の内的感覚でさえも、そうしたルールに基いてはじめて表現され理解されうる。
・第3に、ルールはたまたま成立している慣習的なものにすぎず、絶対のルールなど
存在しないとされる。 例えば真偽を判断する際も、なんらかの慣習的なルールに
基いて行われる以外になく、絶対的な判断基準などは存在しない。
こうして言語ゲームの考え方は、相対主義的ニュアンスを強く帯びることになった。
現在では言語ゲームは、社会学上の用語としても広く用いられている。例えば、学校
や家庭やもろもろの宗教などを、それぞれ異なったルールをもつ言語ゲームと見なし、
それぞれの特質を分析することができるからである。≫
≪ 言語の本質はなにか、というのを考えて行き着いた概念。
例として挙ているのは、石置き場におけるやりとり。親方が「柱石」と叫ぶとする。
すると、弟子が柱石を持ってきてそれを親方に渡す。この場合、別にその「柱石」
という語の意味を把握して何かの行為をしているわけではない。この台詞を聞けば
このように行為せよ、というのを既に習得していて、それに従って行為したという
だけだ。だから、たとえばこの「柱石」という言葉は、別のところに行けばまた
別の意味を持ってくるわけである。個々の状況から独立した言葉の意味というものは
存在しない。すべての語の意味は、状況に規定されるものだ、ということになるわけ。
このことを、ゲーム(互いに理解しているルールに基づいてやりとりするもの)と
似ているという理由で言語ゲームと呼んでいる。≫
―
▼ <諸活動に織り込まれた言語活動という点で、このブログ活動は言語ゲーム。>
新たな読者が読みはじめて半年、一年では、脈絡が理解しにくいだろうが、
慣れてしまえば、こんなものか?と。ウィトゲンシュタインの後期には、日常言語
に立ちもどって日常会話に注意を向け分析をしている。哲学者たちは神、魂などの
語りえないものについて語ろうとしているわけになるが、彼は哲学から、こういう
形而学を排除し、語りえないことには沈黙を守るべし!と主張した。それは、この
ブログを読めば、生半可な知識、情報を、未消化で提示している愚かを気づくはず。
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08月09日(日)
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