ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6993.閑話小題  〜何が起きているのか? 
 それを治す薬はないが、対処法ならある――この本のことだ」】
 ―
【エリザベス・コルバート(ピュリッツァー賞作家。『六度目の大絶滅』)
「本書は教えてくれる――自分に都合の悪い情報を拒絶すれば、われわれは
 トランプ政権と同じになってしまう、と。ニューヨーカー誌】
 ―
【キャス・サンスティーン(ハーバード大学教授。『実践 行動経済学』)
「この本が大好きだ。私たち個々人がどれほどものを知らず、人類全体としては
 どれほど多くを知っているかを明らかにしてくれた。」】

   〜Amazon読者感想より〜
本書の内容は、序章と訳者あとがきによく要約されているので、まずそれを読み、
「もっと詳しく知りたい」「なぜそう言えるのか」と考えたら全体を読むといい
だろう。 序章をさらに短縮すると、こんな感じだろうか。
《・我々が素朴に個人のモノと考えてきた「知識」は、実は「私たちが作るモノ、
 身体や労働環境、そして他の人々のなかにある(p.21)」。つまり人間は
「知識のコミュニティ」のなかで「認知的分業」の元に行動しているのである
(そうすることで進化的に生き延びてきた)。人間は様々な知識を「自らの脳の
内側にあろうが外側にあろうが、シームレスに活用するようにできている(p.24)」
のだが、そのことに普段は気づかない。それゆえ「知識の錯覚」が生じる。
・1人1人の「人間は自分が思っているより無知(p.16)」なのだ。個人としては賢く
 ないが、集団としては賢い。それゆえ「人間の思考がこれほど浅はかであると
同時にすばらしいものとなりえる(p.13)」。このことは教育のあり方についても
見直しを迫る。「私たちは共同してモノを考える」のであって、そのためには
「知能指数より他者と協力する能力(p.27)」が重要になる。
・「科学への理解を促進すれば、国民の科学に対する好意的な態度が醸成され、
 科学技術のもたらす恩恵を積極的に活用するようになるのではないか(p.172)」
という「欠乏モデル」が間違っているようだとか、「政治について考える」の章
での、人々は「自分が間違っていたことがわかると、新たな情報を求めることに
消極的になった」「人は自分の錯覚が打ち砕かれるのを好まない(p.210)」とか、
言っていることは結構、暗い。文章はわかりやすい。
・「交尾以上に重要な行動はない、というのが進化のことわりである」という
文章の後に「(人間にも同じ見解を持つ人はいるが)」と注をつけたりもするが
(p.56)、この種のジョークは類書の中では多くない方だろう。1か所、よくわから
なかったのは「直観と熟慮の区別は、西洋思想だけに見られるものではない(p.94)」
として、ヒンドゥとヨガの「チャクラ」について触れている個所。必要な言及か?
・カバーに「ビジネスパーソンの必読教養書」とあるけれど、教師・教育関係者
 にもおススメ。「教育の目的は子供たちに一人で考えるための知識と能力を付与
することであるという誤った認識は排除すべきだ(p.237)」なんて、多くの教師・
教育関係者にとっては驚天動地の主張ではないか。
――
一説によると、人間の脳は1GB程度。文字情報ならともかく、映像や動画が記憶に
含まれていることを考慮すると、全然足りません。無知なのは当然でしょう、と
いう論理が面白ろかったですね。その少ない情報量を、実に器用に利用するのが
大脳だそうだ。

▼ バカの壁とは、「知ってるつもり」の思い込みの壁。人生80年で知りうること、
 など僅かだが、それでも、可能な限り、知り、経験し、味わってこそ、人生。
カントは、
1、私は何を知りうるか
2、私は何をなすべきか
3、私は何を希望してよいか
 など人間とは何かの「人間学」が根本であるとして基本的命題の答えを探った。
結局は、そのどれも、「知っていたつもり」で、実は何も知らないで生涯を終わる
が、別に知ったところで、それが、如何した? でも、それはそれで… 滞りなく
人生を全うできる。 人間は群れの動物。孤立することなく、群れの中で、孤独を

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05月07日(木)
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