ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6985,閑話小題 〜さらに言う… これは酷い!
顕わにすることは絶対タブーの中で育った。 それもあって、
『情念の話術』ーヒトラーの魔力 ー を学生時代に読んだ時、私の常識と全く
逆の内容に驚いたもの。この本ではナチスの大衆誘導の手法を教えていた。
「大衆は女子供のようなもの。喜怒哀楽を込めた情念で煽って集団催眠にかける
手法である。右手を胸につけ右上にあげる。演説で大声を振り上げ怒りの感情を
大衆に訴え扇動する。それらの手法を日常の話術や、行動のエネルギーの源泉に
せよ。喜怒哀楽をエンジンとみたてフル回転し行動のアクセルにせよ」というのだ
から… 当時の私にとって、これは性格を変えてしまうほどのインパクトがあった。
私が怒りっぽくなったのは、これもある。これを人知れずノウハウにしたら、
突然狂ったと思われるはず。喜怒哀楽の中で、一番疎んじられている怒りこそ
(仏教の影響もあって)日本人に欠けている。切れるのではなく、コミニケー
ションの扉を開くための道具とすべしというのも納得できる。コミニケの中で
怒りの訴える強度が一番高い。もし人種差別の場合、笑って抗議しても、泣いて
抗議しても、怒りほどのインパクトはない。問題は、その表現の仕方である。
これが『怒りの作法』の中で貫かれている主旨である。 怒りこそ感情の主。
逆に人間関係を一瞬にして破壊してしまう薬にも毒になるしろもの。そこに作法
が必要になる。ここで、アリストテレスの「怒りは、しばしば道徳と勇気の武器
なり」という言葉を紹介している。
《 それはまさに「正しく怒る」ことである。「怒らないこと」でなく、
「正しく怒ること」が大事ということ。 アリストテレスの「中庸」という思想
を見ると、このことがわかる。中庸とは最も望ましい状態のこと。怒りに対する
「穏和」を意味する。つまり、然るべき事柄に対し、然るべき人に、然るべき仕方
で、然るべき時に、然るべき間だけ怒る。これが賞賛すべき怒り方であって、
こうした怒り方の出来る人を穏和の人という。 怒ることは、必ずしも悪いこと
ではない。しかし、現代人は怒ることを出来るだけ避けようとする。もっと怒る
べきなのに。(p3)》
以前は、今に比べれば、穏和に怒ってくれる人が多かった。でも現代は違う。
怒りを抑えることが良いとされ、それが沈殿してしまう。そして爆発し全てが
破壊する。 怒らないって、本当は恐いのである。
・・・・・・
4485, 怒らないって本当は恐い! ー2
2013年06月27日(木)
『怒りの作法』小川仁志 著
* 日本人はなぜここまで怒らないのか
何故に日本人は怒らなくなったのか、その理由を幾つか取り上げている。
ーその部分を抜粋ー
・ 三木清は『人生論ノート』の中で、「他の感情から比べ、否定的にとらえ
られるのは、怒りが憎しみと混同している点にあるとしている。三木は憎しみ
は負の感情しかないが、怒りはそれとは違う正のエネルギーを秘めた感情という。
したがって、まず怒りに課せられた誤解を解くことから始める必要がある。
感情とは内側から生じてくる一種のエネルギーであって、それをうまく放出
することによって、人間は人間らしくふるまえるのである。
・ なぜ怒りだけが抑圧されるかというと、そのイメージは、ほとんど常に
暴力的言動に結びついているため。怒っている人の原因を聞くと、理解が出来る。
しかし、その言動は否定することになる。互いの主観をみとめ、話し合い、理解
するのが人間たる由縁だが、暴言や暴力に頼り、他者から理解してもらうことを
諦めてしまうため現代人は動物化しているといわれる。
・ 権力者は、怒る人間より従順な人間を好みます。自らの保身のためである。
長年かけて教育を始めとした啓蒙活動で人間の怒りを去勢し、従順な国民を作り
上げてきた。・・・ 怒りという正常な感覚の一部を奪われてしまった人間は、
他の感情ー喜と哀と楽も歪なものになっていく。笑えない子供、泣けない大人、
楽しめない人間。極端までに怒りを嫌悪する現代社会は、こうした「異常現象」
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04月29日(水)
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