ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6961,閑話小題 〜メラビアンの法則
中越地区の中核都市の長岡は、何やら厳しい激風が吹き荒んでいる。そこに、
前県知事の少女買春とか、塚田代議士などの政治家の質の問題が。上は首都圏、
下は新潟市のストロー効果と、柏崎・刈羽原発の休止問題が重なっている。
厳しいが、そこが雪国の県民性。何とかなるでしょう。
これらを他人事で済まされる年金生活者は気楽な稼業。所詮は、無用階級者
の戯言。 自虐的自己対話で何とか息をしている日々ですか、
後記: いいな〜、以下の断章!
・・・・・・
6231,閑話小題 〜遊びについての断章
2018年04月05日(木)
<「群れるな」寺山修二著>
昨日、「加山雄三とヨット」のテーマで、遊びについて書いたが、手元に
図書館から借りて積上げてある10冊の本の中に、『遊びについての断章』が
あった。これまで「遊び」について繰返しテーマにしてきた。
「遊べるうちに遊んできなさい! 直、泣くときが来るんだから!」と
諭され、数十年が経つ。確かに切ない場面が多々、あったが、その数倍、
数十倍、楽しいことがあったのが実感。遊びの価値を両親の後ろ姿に
学んだことに加え、学生時代に味わっていたこともある。
* 『遊びについての断章』
ー人生は遊びながら年老いて行く―
‘JRA’のCMのために書いた原稿。
実際に使われたものはこれからの抜粋である。
このCMのなかでの寺山は得意の肩かけコートで町をあるき、府中のスタンドを
バックにたたずむ。その後ろであの独特の語り口でこの断片を朗読していた。
――
かもめは飛びながら歌をおぼえ
人生は遊びながら年老いてゆく
*
遊びはもうひとつの人生である
そこにはめぐり逢いも別れもある
人は遊びのなかであることを思い出し、あることを忘れ、
そしてあることを捨てる
*
人はだれでも
遊びという名の劇場をもつことができる
悲劇 喜劇 活劇 メロドラマ
そこで人は主役になり、同時に観客になることもできる
*
ぼくは人力飛行にあこがれていました
飛行機はただの道具にすぎなかったが、飛ぶことは思想でした
ぼくあ大空を見あげて思いました
プライバシーなんかいらない
フライバシーがほしい、と
遊ぶことは 冒険することであり、
ためすことであり、知ることだったのです
ぼくは「運の悪い女」がきらいです
なぜなら「運の悪い女」には、人生が一つしかないからです
遊びは、不運な人たちにも
「もう一つの人生」があることを教えてくれるのです
だからぼくは、いつでも自分に掛ける
*
どういうものか「誰が故郷を思わざる」という歌をうたうと、
ツキがまわってくるんです
はじめて競馬場へ行ったとき
はじめて玉突きを覚えたとき
はじめて女を口説いたとき
だからぼくは
皆で一度、一緒に唄ってみたらいいんじゃないかと思っているんです
政治の悪い時代には、「誰が故郷を思わざる」でも唄ってみる
そういうもんじゃないのかな、遊びなんて
*
人生が終わると、遊びも終わってしまう
しかし、遊びが終わっても人生は終わらない
遊びは何べんでも終わることができるから、何べんでもやり直しができる
出会いと別れのくり返し
そこが遊びのいいところなんだね
*
人生では敗けられないが、遊びなら敗けられる
そして敗けを知ったものだけが味わえる風景というものがある
「誰が故郷を思わざる」なんて唄は
競馬をやったことのある者にしか、味わうことができない唄ではないだろうか
*
人生が、いつばん安上がりの遊びである
死が、いちばん高くつく遊びである
*
遊びは、人生の時刻表である
人はそこに立ち止まり、自分の乗る汽車をえらぶ
人生は汽車である
旅をしながら年老いてゆく
*
遊びは不幸な人間の第二の人生である
遊びは不幸な人間の第二の魂である
*
人は誰でも、もう一つの人生をもつことができる
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04月05日(日)
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