ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4848、「事業人生を決心して45年」の語り直しー20
☆ 20世紀を代表する歴史学者、フェルナン・ブローデルは「資本主義は、それが国家と一体化するとき、それが国家で
あるときにのみ、栄えると(『歴史入門』)で述べた。この含意するところは大きい。資本主義というシステムは、一見、
アナーキーなものに見えるが、実は「国家」なしでは機能し得ない。それを「国家資本主義」という言葉で言い表せば、
「自由資本主義とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなりもっている」(p.95)
☆ 100年前も現代と同じくらいグローバル化(金融は除く)が進んでいた。資本主義は人々の欲望の塊が原動力。
それを野放しにすれば必ず反動という自然の調整で大恐慌が生まれる。それが、1929年の大恐慌と、2回の大戦争。
現在の世界経済を1920年代の世界大恐慌になぞらえ、その類似性を説明していく。20世紀初頭の第一次グローバル化と、
その結果とも言える二度の大戦と大恐慌。そして、並行して進む脱グローバル化への揺り戻し。
今は、その後1970年代のブレトンウッズ体制の崩壊から続く第二次グローバル化の中にあると説く。
☆ グローバル化と民主主義と国家主権の3つは全部が成立することは不可能で、このうちどれか2つしか同時に成立しない。
グローバル化と民主主義が成立すれば、EUのように国家が抑えられ、グローバル化と国家主権が強くなれば、日米のように
国内の貧富の格差が大きくなる。日本は、グローバル化を抑えた国家主権と民主化を重点とした政策が必要。
▼ グローバル化が100年前もあって、その反動で恐慌が起こっていた。そして、現在も、酷似しているという。
現在のネットが、当時としては電話の普及に当たるとする。現在は、20ヶ国が一同に介して、恐慌が表立つのを
抑えているが、現実は既に恐慌が静かに進んでいるというのは正しい。特に日本は、その先頭に立っている。
著者は、日本にとって、3つの内、国家主義と民主主義に重点を置くべきというが、国家主義とグローバル化しか
選択の余地はないのではと考えざるを得ない。アメリカの属国しか生きれない体質になっているからだ。
恐慌は、それほど生易しくはない。10年後もしないうちに、東北大震災が消し飛ぶほどの何か、
例えれば、1923年の関東大震災に対する世界恐慌と太平洋戦争のような。 −つづく
・・・・・・
4107, 哲学で自分をつくる ー5 (デカルト)
2012年6月23日(土)
第二章 まだ自分をさがしているの? ーデカルト ―�
* 我狂う、ゆえに我なし! 「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」瀧本 往人 (著)
デカルトの「方法序説」の『省察』で、狂気についての指摘が考えさせられた。
≪「思う」もしくは「我思う」主体が狂気を携えていることはありえない、としている。「Aという定理は間違っている」
ということを新たな「Bという定理」から指摘することはできるが、「私は狂っている」ということを「狂っている主体」が
言うことはできない。もし言うとすると、それは「正しい」ことを言っているのであって、狂っていないことになる。
私は先ほど狂っていたが、今は正常です、と言うことも基本的にはできない。そうすると錯覚や夢とは次元が異なるもの
としてデカルトは狂気を提示していることになる。 そうであるがゆえに、「私が考えるということは、狂ってない人間」
の特権と化すのである。 ・・つまり、「我思う、ゆえに我在り」を成立させることによって、「我狂う」場合は「我狂う」
という言明もできないし、「我在り」も成立しないと言っているに等しいのである。狂気は「懐疑する主体」によって
最初から排除されているわけである。≫
≪・・・デカルトは、本当に確かなものはこの世にあるのだろうかと考え、考え尽くした上で、疑えないものなぞない、
という結論に至った。この世に何も頼れるものがないとは、きっと途方に暮れただろう。しかし彼はこの問いをさらに
突ぎ詰める。そして、まぎれもなく確かなものを発見した。それは、「すべてを疑った」、そのこと自体は確かだ、
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06月23日(月)
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