ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4802,年金破綻報道の罠 ー③
思い出しているに過ぎない。過去はクオリアではない。単なる記憶だ。その過去の体験のクオリアに戻ることは出来ない。
人間には「今」しかないのだ。・・・ 僕たちは「今しか感じられない機械」。今と、生まれてから今までと、今から死ぬまでが、
あなたにとってのすべての時間なのだ。それだけだ。 主観的時間には、「死」なんてない。死ぬ瞬間は、もはや主観的な
「今」はない。死の直前には「今」を感じられるが、それは死の瞬間ではない。主観的には死はないのだ。生まれる前は
主観的には生まれていなかったのだから当然、時間は流れていなかったのだ。主観的な過去の時間は過去にさかのぼるほど
圧縮され、ついには物心ついたとき以前の時間は完全につぶれゼロになると考えるべきだ。未来も、先に行くほど圧縮される。
物心ついたときより前の時間がぺしゃんこにつぶれてゼロだったように、いつか死んだ後の時間もぺしゃんこのゼロだ。・・・
つまり自分が死んだ後の無限の時間、という想定も、過去と同様、見直すべきだ。 そんなのは無いのである。≫
▼ 当たり前のことを論じているが、これが自覚できないのが人間。過去も未来もゼロ、現在も幻想。ただクオリアがあるだけ。
「自分が死んだ後も世界は無限に続く」ということが、間違いである。死ぬと同時に今も、過去も未来も、ゼロに潰れる。
「今」しかないのに、過去や未来にこだわる人間は奇妙な生きもの。過去は記憶に過ぎなく、未来は予測に過ぎない。ならば
可能な限り、嫌なことを忘れ、良いことを繰り返して思い出すよう努め、今だけを考えること。所詮、未来も、過去もない。
それで良いのだと。亡くなった両親を考えてみると、その道理が理解できる。死んだ後の時間はペチャンコに潰れている。
クオリヤを感じている今こそ、生きているのである。だったら、私たちも、この「今」を生きるべきである。
主観的時間が幻想としてもである。今しか活き活き生きることが出来ないのである。ケセラセラと今を活き切るしかない。
・・・・・・
4061, 我事に於て後悔せず
2012年05月08日(火)
* 我事に於て後悔せず。 宮本武蔵「五輪書』より ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より
この本で著者は、五輪書の武蔵の「我事に於いて後悔せず」を取り上げている。一流のプロなら、引退後の後悔などせぬはず。
後悔するのは腐った?のような人物がするもの。 ー 以下の部分は、その辺りを微妙に書いてある。
≪ これをふつうは「われ事に於て後悔せず」と読む。小林秀雄は「わが事に於て」と読むほうがよかろうと言っていて、その意は、
「その日その日が自己批判に暮れる様な道を何処まで歩いても、批判する主体の姿に出会ふ事はない。別な道が吃度あるのだ、
自分といふ本体に出会ふ道があるのだ。 後悔などといふお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、さういふ確信を
武蔵は語ってゐるのである」(小林秀雄『私の人生観』)と説明している。 自分の過去の行動についてあとから、あれは間違っていた、
などとそのたびに後悔するようでは、後悔というものを受け入れるようでは、ひとは本当の自己に出会うことはできぬ、というのだ。
小林秀雄は武蔵の言葉をかりてつまりはそれが言いたかったのだが、このことは今ぼくらの考えている「自己への忠誠」にあてはまる・・
◎『自己に対する何という無礼だ、その決心をした時より今の自分の方が利ロだと、どうして思うのか。』スタンダール「パルムの僧院」
これぞ言葉の中の言葉だ、これほどにひとを励まし、自己への忠誠を元気づける言葉を、ぼくはほかに知らない。 武蔵の箴言は
いささか道学者くさいが、ここには自己であることの純粋なよろこびがある。・・これはスタンダールの全作品に鳴りわたっている言葉。
◎ ースタンダールはそのすぐ前で公爵夫人の性格についてもこう言っている。公爵夫人の性格には二つの特徴があった。
彼女は一度欲したことはあくまでも欲した。また一度きめたことはけっして論議しなかった。
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05月08日(木)
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