ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4796,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜④
  可能性があると知り、単純だが、自分の人生も、死も、大した問題でないことを改めて知った。 これはルート3の、
  客観的スケール思考の道になる。 この7つのルーツの道を繋ぐと、
 ≪ 人間の心は、本来幻想。人の一生は宇宙的スケールでみれば、瞬時でしかない、直ぐ死ぬのも後で死ぬのも同じ。
  また微細な存在。知情意で捉えている時間も幻覚。自分という枠組みも定義で変わるもの。恐怖が幸福の対角にあるとし、
  その幸福という感覚も幻覚。ただそれだけのこと。≫ ということになる。般若心経そのものになる。だから、
  死に直面すると、写経を始めるのは効果がある。こう、まとめると、各ルートを歩くのが面倒に思ったが、よく読むと、
  道筋には含蓄に満ちた景色がある。目先の死を知ってから、それまでの一生分を生きるのだから、学び足りないのは当然。
・・・・・・
4055, 一個の人間の顔、それは一つの象形文字
2012年05月02日(水)           
                 ー 「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より
≪ 「一個の人間の顔、それは一つの象形文字だ。ある神聖な、明確なしるしだ。なかに魂の現在があらわれている。
 動物だってそうではないか水牛がものを咀嚼しているとき、その顔を見てみたまえ、鷲の顔を見てみたまえ、犬の顔を見てみたまえ。
一個の人間の顔の中にはっきりした意欲と決意とがあらわれているとき、それは一個のばらばらな意欲と決意という以上のものだ。
そういう顔をぼくの夢想の中のドイツ人は持っていた。どれも一息つくより短い夢の間にすぎなかったが。 むろんぼくは、
ぼくに向って吹きつけてきたその未知の人物の顔を必ずしもいつも見たわけではない。(中略) だがともかくそういうとき、
ぼくはそういった顔を内側から見たという気になったものだ。『 わたしはこういう人間だ 』と、それらの顔には書かれていた。
そして今ぼくはこの四ヶ月というもの、現実の人間の顔を見ているわけだ。 なにもぼくはかれらに魂がないなどというのではない、
魂の光は一再ならず閃き出るのだが、それがすぐまたふっと消えてしまうのだ。鳩小屋の鳩と同じことで、強と弱、近いものと遠くから
持ってきたもの、卑俗なものと高貴なものとの、永遠の入ったり飛び立ったりなのだ。 あるのはざまざまな可能性のそういった
落着きのない出入りだけ、そしてそこにはつねに、あの一つの偉大な、決して言葉に言い現わせぬ奥底の思想が欠けている。
立派な顔には必ずあるあの変らぬものが。・・・ ≫          ーホフマンスタール『帰国者の手紙』より
 ▼ 顔に責任を持て、と言われても今更だが、年齢を重ねた顔には責任を持たねばならない。
  特に、政治家の大事を成し遂げた顔は、大事の象形文字と見ることが出来る。『わたしはこういう人間だ』と、
  そのまま書かれているようだ。先年、亡くなった片岡球子の人物画の顔が良い。人間の顔が象形文字ということを
  知り尽くしているから、あのような顔がかけるのである。 顔は魂の表出、老いてきたとき、行蔵が、そのまま現れ出る。
    ・・・・・・・
3689, 自己を見つめる −12
2011年05月02日(月)
  * 世間とは        「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 
 世間についても、何度も取り上げてきた。特に絶対神を持たない日本では、右に倣えの世間的価値に同化することが善になる。
人生の最晩年になって、いかに、それが自分の壁になっていたことに気づいて慌てふためく。(それさえない人もいる)
世間から身を守るためには、やはり読書か、芸術や趣味などに専念するなどライフワークが必要である。 
世間を否定するのではなく、それと、心底で距離を置くことが必要である。 
  ー以下の、哲学的世間論も分かりやすい。
【 ー世間とはー 世の中の人が判断する仕方に従って判断する。大勢に準じた生き方のスタイルが、自分自身の生き方のスタイルに
なってしまう。 それ以外に自分の人生を考える余裕もすっかりなくなってしまう。 なにしろ、そうした自己喪失的な大勢順応の

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05月02日(金)
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