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堀井On-Line
by horii86
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■4789,葬式は、要らない ー2
アマゾンで、この本の内容紹介を読んでみた。まだ発刊して間もないこともあり、レビューも何もない。
パソコンとネットの機能から、逆に人間の脳の機能を逆照射した哲学を読んだことがある。 ロボット工学者が、
人間の形を持ったロボットの視点から人間を見つめると、また違った何が見えてくる。 まずは ー内容紹介ーより
≪ 人間は感覚器が集まった糞袋。しかしその糞袋は、自分が自分であるということを確認する手段を持たない。
 CNNの「世界を変える8人の天才」のひとりに選出されたロボット工学者、石黒浩。最先端のテクノロジー開発を通し
 人間の本質を見つめる中で、「生きるとはどういうことか?」「人間とは何か?」という問題を常に問い続けている。
 【人間を「糞袋」と捉えることで、どのような答えが浮かび上がるのだろうか? 】約2年間にわたって発信してきた
  ツイートをもとに考察を深め、いま本当に伝えたいメッセージを丁寧に綴った、渾身のエッセイ。≫
▼ 「人間は感覚器が集まった糞袋」と、「世界を飲み込んだ自分は自由なのである」という意味について考えてみる。
 まず「人間は感覚器が集まった糞袋」を、「人間は考える製糞器」であると言い替えると、動物とロボットと
 際立って違うところは、動くエネルギーが動植物系と電気かガソリンの違いになる。人間の燃えカスは、一度、
 糞袋に溜められて排出される。 
  人間は世界を飲み込んで(環境を直感して主体的に)動くところが違う。それも自由度が高いほど人間度が高い、
 ことになる。自由こそ人間たる要素である。世界を知り、そこで方向を探し出し、常に環境の変化に対応し、殻を破り
 続ける糞袋が人間の本来の姿。だから、身近に飛行機、自動車、自転車、パソコンなどの身に合ったツールやシステムを
 使いこなし、自由度を高めることが必要。優秀なロボットを創ることで逆照射をして、人間の本質を探る切り口は新鮮。
 人間の肉体を内と外面をシビアに捉え完成に近づける過程から見えてくる姿は、哲学でいうところの「他者」と
 「自分」の関係を考える上で面白い。この工学者は、自分の姿のロボットをつくり、生身の自分から見つめている。
 第三者が触ったり、殴ったりした時に何かを感じるはず。これは自己承認や、他者承認の問題に似ている。ロボットから
 見たら糞袋に過ぎない人間の肉体。ロボットのように、第三者からの指示やプログラムでしか動けない哀れな糞袋が、
 あまりに多い。そういう私の貧弱なプログラムこそ最も稚拙! 後悔先に立たず。自分を腹から笑えるだけ、まだましか。
 ・・・・・・・
4048, 一時停止 ー6
2012年04月25日(水)
  * 人間は大文字で書かれた矛盾      「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
≪ 唐突なようだが・シモーヌ・ヴェイユのことばを孫引きさせてもらう。
(精神がつきあたるもろもろの矛盾、それらのみが実在するものであり、実在性の基準である。想像上のものには矛盾はない。
矛盾とは必然性の如何を試すものである)(存在の奥深くまで体験された矛盾、それは我々の身も心も引き裂く。それが十字架である) 
自己弁護のためにひくにしては、これらのことばがあまりに痛切であることは感じてもらえるだろう。私は十字架にまで到達できる
人間ではないけれども、せめて矛盾をかいま見る地点にまでは行きたいと思う。矛盾の一方に身を置けば、たしかにそこにも悲劇は
待っていよう。作家の自殺のいくつかはそうした場所で行われたのではないかと私は想像する。だが矛盾そのものを生きることは
―それは私には想像もつかない。 ヴエイユの言う矛盾は、いわば大文字で書かれた矛盾であり、人間そのものと言っていいと思うが、
そのことが、つまり究極には矛盾しかないのだということが、私に勇気を与える。私の出会うもろもろの小さな矛盾も、最終的な矛盾と
構造的に結ばれているに違いない。ひとつの矛盾を解決し得たと思うとき、それがすでにもうひとつの矛盾のはじまりになっている。
その無限地獄にこそあるいは書くことに第一原因がひそんでいるのかもしれない。――その辺でやめておけ。おまえにはそんなことまで

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04月25日(金)
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