ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4782,大不況には本を読む
圧縮して襲いかかるとしたら、考えただけでも身震いがするが、興味もそそられる。気の毒なのは、若い人たちである。
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4415, 余生を過ごす場所は?
2013年04月18日(木)
* 今の場所で快適に過ごす工夫を! 「知的余生の方法」渡部昇一
余生を過ごす場所は、生れ故郷か、はたまた別荘地か、海外か、そのまま現在住んでいる場所か、迷うところ。
著者は、現在住んでいる場所こそ「ふるさと」と思い、別荘地など考えずクーラーでも入れ快適にするなど工夫すべきという。
何処も「住めば都」で、心地よく住んでいるところが、いなかと諭す。 ーその辺りよりー
≪ P・94 英語では一般的に「ふるさと」は単にホームという。イギリス民謡の『埴生の宿』の原題は‘Home,SweetHome’だが、
このホームがそうだ。ホームは単なる「住み家」「生まれた場所」という意味に過ぎない。そこから懐かしさを伴って、
「ふるさと」をあらわすようになり、「家庭」を意味するようになっていった。だから、「ふるさと」と「家庭」が相通じ、
切り離せない関係にあるといえる。そこには父や母がいて、昔の日本の田舎でいえば、囲炉裏を囲んで話をする風景である。
そのホームも、今では崩れつつあるようだ。 ローマ時代からの諺に「自分がうまく生活しているところ、そこがホーム、
つまり、自分の「ふるさと」「故国」だという意味である。これは言い得て妙で、都会暮らしの生活者にとって、救いになる
言葉である。田舎から東京に出てこようが、海外に移住しようが、そこで成功し、そこで良い暮らしをしていれば、その土地こそ
「ふるさと」なのである。都会でうまく生活しているなら、都会こそが自分の「ふるさと」と腹をくくるべきだ。・・・ ≫
▼ 思い切り移住するのも悪くないが、そのまま居座るのが自然。私のように、ブラックスワンの御蔭で、肩身が狭くても、
「平気で死ぬのが悟りでなく、平気で生きてこそ悟り」と、自分に言い聞かせ、割り切ってしまえば別に何とことはない。
ソフト・ランディングだったこともある。しかし、5億、10億の現金があれば、軽井沢のマンションか、ハワイ辺りを考える。
としても、現在と大して変わりはない。いや、違うか! 天使の様に、肩に羽をつけ、浮いたように生きればよいだけ。
フワフワ生活するのはお手の物。いずれにしても死んでしまうのだから、今を楽しむしかない。場所は二の次? 改善でよい。
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4041, 世界の旅行記101 ー2
2012年04月18日(水)
* 旅行記は事件簿でもある
はじめにー旅行記を読むということー の冒頭の文が、旅行記の本質をついている
≪ 古今東西、旅をする人たち、旅を愛する人たちは無数に存在した。そして無数の旅行記、紀行文が書かれた。
どうも旅という非日常の行動は、文章の起草をはげしくうながすものらしい。 いろいろの旅行記がある。
任務をもって旅したものであれば、復命書を。さだめなき漂泊の旅にでたものであれば、遍歴の跡をしるす随筆を。
どれも当の本人にとっては、記録としての重みは、ひとしいだろう。だが、旅行記を読む側からすれば、自から興趣には軽重の差がある。
「読み甲斐」のある旅行記とはどんなものであろうか。まず考えられるのは、旅そのものが、冒険や危険にみちている場合。
安穏として、ほとんど日常の域を出ない旅とはちがい、未知の領域や未踏の領野をゆく旅は、つねに発見と遊遁にみちている。
ドキドキ、ワクワクの連続は、旅する本人とともに読者をも、不安と興奮にまきこむ。探検記、踏査記が長らく愛読されてきた由縁である。
旅は始点と終点とがある事件であるとすれば、旅行記は事件簿でもある。そこにふくまれる小事件のつながりが、どれだけ起伏にみち、
意外性にあふれているかによって読者へのアピールはことなる。実際には、みずからその事件に参画することは困難だが、そのアピールを
うけいれ、旅行記とともに旅という事件を追体験する。 おそらくは、なにがしかの潤色がほどこされるではあろうが、旅は現実に存在した
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04月18日(金)
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