ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4771,ぼんやりの時間 ー4
赤瀬川: ええ、強い忘却力を持っていますね。
天野: そう、これまでマイナスイメージでしかなかった「忘れっぽさ」をそんな悪いもんじゃない、というふうに書かれていた。 
 あの本は、ものすごいベストセラーになったけれども、どういうつもりで買ったのでしょうね。老人はまだ社会に役に立つと
 でも思ったのでしょうね。 実際は違うのに。・・・ ボケたとかモウロクしたのが、老人力がついたとかポジティブに
 書かれて悪い気がしないですよね。≫
▼ 「神様(自然)は、老いの苦悩苦痛を和らげるため、忘却と鈍感さを与えて下さった」という解釈がある。老いて
 今さら気ばんでも致しかたがないし、運命に従うしかない。忘却といえば、この随想日記。書き上げアップロードをした瞬間、
 内容は勿論、テーマすら綺麗さっぱり忘れて、頭は翌日のテーマと内容になる。直後から次回分の書き直しを始めるからだ。
 だから数時間後でも、その文に対し第三者になっている。 この最大の収穫は、過去に書いた同月同日分12年分の文章に出会う
 ことである。時空を超えた自分に毎朝出会うのも良いもの。また「(自)己の分」の限界も見えてくる。それを第三者に曝す
 のも自虐だが「所詮こんなもの」という諦観が出来る。「いい加減にしろ、先は短いのだから娑婆気を減らせ」ということ。
・・・・・・
4030, 一時停止  ー谷川俊太郎ー自選散文
2012年04月07日(土)
          「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
 図書館で借りてきたが、直ぐにアマゾンで購入した。谷川俊太郎の詩集や特集の雑誌を何冊か、読んできた。
その散文集なら面白くないわけがない。谷川の詩も文章も、ストンと心に落ちて振動する。青年期に、谷川の著書を読んでいたら、
人生は変わってはず。 言葉を仕事にしている詩人の書いた文章は、分かりやすい。読み手の目線を常に意識しているためだ。
  * 「青年という獣」1957年 ーより
≪・・生きているということと、生活しているということとの相違をもっともてっと早やく云えば、前者を非人間的、後者を
人間的と云って 差しつかいないだろうとぼくは思う。生きるとは、コスモスの中に生きることだが、生活するとは、人間の
社会の中に生きることだ。現代ではこの違いを理解する人は少ない。下手をすると、コスモスなどという言葉は野暮な言葉で、
悪くすると危険な言葉にされかねない。青年は意識的、無意識的にかかわらず、これに抗議する。青年は生きようとするもので
あって、生活しようとするものではない。一見如何にソシアルに見える彼の行為も、その意味では本当にソシアルになり得ない
ものだとぼくは思う。何故なら、人間以外のものになることを、いやいやながらでもあきらめてこそ、始めて人は人間になれる
ものだからだ。人間は生活という唯一の現実によって人間になる。青年は生活以外のすべての夢によって青年になる。
青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を喰って生きる位の非人間的な強さをもつていなければならぬ。
倦怠はおそかれはやかれ彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、青年は彼の役割を果さねばならぬ。
ビリイ・ザ・キッドは若かつた。彼は太陽や風や、残酷な青空や、愛らしい女を知つていた。彼はコスモスとその中の生命
とに気づいていた。彼は人間や、その生活などを知りはしなかった。彼が強かつたのはそのためだ。彼は死のもつ非人間的な
意味だけに気づいていた。死のもつ人間的な意味などに気をとられなかつた。彼の手が震えなかつたのはそのためだ。
そのためにこそ、彼は人間としても偉かつた。彼は人間を代表して、コスモスの真只中に立つてひるまなかつた。
彼は人聞を殺すことで、コスモスと戦つたのだ。≫
▼ 創業は、全く経験のない思い込みの未知の生命体を創り上げること。それは「生きる」分野にある。それは創業という
 獣的行為。生活のためであっても、それを創るには人間性を、普通の生活者の考えを、根こそぎ捨ててかからなければならない。 

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04月07日(月)
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