ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4770,ぼんやりの時間 ー3
 いっぺんひっくり返さないといけません。前半の人生ではだれかに仕えていた人も、後半の人生は自分が自分の大将になり、
 自力で道を歩むための新しい志をかかげなければ。そういう意味で、この隠居大学というのは、たいへん面白い試みですね。
天野:あまり実践的でない大学ですが、気楽におしゃべりで、いろいろな隠居の楽しみ方を紹介する遊び場になればいいと
 思っているんですよ。ところで、外山さんの『「人生二毛作」のすすめ』、すごく面白く読ませてもらいました。
 二毛作っていうのは、ひとつの耕地で、種類のちがう作物を二度栽培することですよね。たとえば、春から夏にかけて稲を
 つくったら、二回目は大豆や麦なんかをつくる心つまり隠居の楽しみというのは二毛作目のようなものであって、
 前半の人生と同じものをつくったんじゃあ面白みがないと。
外山:そうそう。人生も折り返し地点に来ると、価値観というものがおおむね逆になります。そもそも、前半で立てた
 志というのは、学校出て就職したらある程度の方向が決まってしまうようないいかげんな志です。
 わたし自身もそうでしたが、いちどエスカレしターに乗ったら、自分の力で歩かなくても成長しているような気になって、
 それでは本当に生きてきたといえるかどうか。
天野:もし二毛作にチャレンジしなかったら、どうなるんでしょう。二期作というのかな。前半の人生と同じものをつくる。
 たとえば、定年を迎えたけれど、嘱託社員として会社に残って、空いた時間で好きなことをするというような・・・。
 世の中には、そういう隠居スタイルの人もいると思うんですけど。 
外山:いや、それはエセ隠居です。高級官僚の天下りがいい例です。二毛作目をやるのは面倒くさいし、自信がないから、
 とにかく一毛作の延長で行こうとしがみつく。そんな甘い考えではいい年寄りになれません。ゆといってもわたしもね、
 少々まわり道をしたんですよ。大学で教師をしていたんですが、最初の勤め先を定年退職したあと、もう一度別の学校に
 勤めに出た。これがよくなかった。 ≫
▼ 私の長年の友人は、ほぼ二毛作の人生を過ごし三毛作の人もいる。転進すべき節目時に決断している。情報を持って
 いたのである。 逆に一毛作でハッピーエンドだったら、小さな畑で隣の田畑と比べるだけの水平の人生も、それも
 ご愛嬌。 価値観の転換など関係のないのも、これも人生。死んで三日も経てば、みな同じ。あるのは?永遠の虚空だけ!
・・・・・・
4029, 「人生の知恵」ノート ー2
2012年04月06日(金)
   ー 品格と、自分を高める言葉のノートより ー
   * 情報や知識が少ない場面では
 「何をするにしても、勝手が分からないこをやる時は安全な方を選ぼう。手堅いことは独創であることよりも大切である。」
 これも人生を振り返ると、骨身に感じること。情報不足の時は、奇をてらえば、必ず失敗をする。
   * あえて敵をほめること
  敵を褒め、親切にすること。特に復讐のチャンスの時ほど、逆に寛容にすべき。その品格が求心力を生む。
 ボクシングの勝者は観客を意識し敗者に対し、「良い選手だ」と必ず褒め称える。ファン対策のためだ。
 人生は、闘争である。まともに生きていれば、罵られ、足を引っ張られる。しかし、決して愚弄してはならない。
 憎い相手ほど、冷静に褒める。それが品格を高めることになり、敵を少なくし、求心力を生む。
   * 放っておく術を知る
  人間関係の諸問題は、さまざまな感情の暴風雨を引き起こす。そんな時は、港に退避し、碇(怒り)を下ろして乗り切ること。
 殆んど時間が解決する。複雑な問題を解決できるのは「時間」か、強い権力だけと知るべき。
 「低俗の人たちが起こす問題の嵐を静めるには、何も手を出さず、自然に収まるのを待つこと。一度、退くことがベスト。
   * 見かけも重視すべし
  信用は金を出しても買えないが、外見は僅かな投資で整えられる。 正義でさえ、正義に見えなければ、それにふさわしい

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04月06日(日)
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