ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4754,そんなに長生きしたいですか ー6
した人間の反動的行動と指摘する。つまり、断絶的な世代間ギャップが問題なのではなく、暴走はあらゆる世代に共通する
連続的な現象となりうるのである。感覚がまちまちな孤立した個人間の感覚の衝突は、さながらホッブズのいう
「万人の万人に対する闘争」状態である。しかも、個人を律するはずの常識や規範さえも、日々更新され続けており、
今後も加速度的に拡大していくに違いない。急激な情報化社会が逆説的に孤立を生み、闘争(=暴走)状況を作り出し、
それももはや止めようがないというのであれば、私は生きていくために今後どうすればいいのか、途方にくれてしまう。 ≫
 ▼ 老化は、肉体面では自覚できる。しかし精神面での弛みも出るのである。決して孔子の教えのようにはならない。
  「・・、40にして迷わず。50で天命をしる。60で耳に順う。70にして心の欲する所に従って、のりをこえず」
  ところが、これが真逆になる。「40にして迷い、50でも天命など遥か彼方。60で自分の人生を悔い。70歳にして
  呆然自失で暴走化する」 これが、最近みられる老人である。高度成長期の良き時代に生きてきた世代が、低成長の暗い
  時代に、老人の枠に入れられ情報機器を使いこなせず、取り残され、直ぐに切れてしまい暴走を始めたのである。
  あの歪んだ老人と、理想的な老人像とは、あまりに懸け離れている。この時代は40〜50年の変化は、昔の4〜5百年
  の変化に等しい。その変化に取り残され、一人彷徨い切れる。そういう私も似たりよったり。粗大ゴミの成れの果てか。
 ・・・・・・
4013, 事業生活39年の、独り語り ー2
2012年03月21日(水)
   * 野田一夫教授のこと (20歳の頃ーある教授との出会いー2)
 それまでの、寮とクラブが中心だった付き合いが、この頃から微妙に変化していった。専門課程の三年になると
卒業後が見えてくる。そこでドラッガーを日本に紹介した野田一夫教授の「経営学」を選択した。その授業に驚いた。
≪   2002/02/28 20歳の頃  ーある教授との出会い−2  (随想日記より)
 経済・経営系の人なら、この人の名を知っているはずだ。ドラッガーの訳者である。 忘れられない授業があった。
確か3年の時の6月の初旬あたりである。 講座は「経営学」である。 その時の感激を今でも憶えている。
学生時代の自分の中で色々な内面のビッグバンがあった。 その中で「Aクラスのショック」であった。
 ーその内容とはー 【 諸君、同じ人間として生まれたからに、せっかくこうして学んで人の上に立とうというなら、
ロマンローランの「ベートーベンの生涯」をぜひ読んでみなさい!ベートーベンは音楽家でありながら、難聴になった。
音楽家にとっての難聴は致命的である。それを乗り越え、その心を作曲したのが「運命」である。
この本の中の彼の手紙に「絶望を突き抜け歓喜に!」「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実に拠ってだけでも、
不幸に耐ええることができる!」という言葉がある。不幸のどん底の中の意志の言葉だから素晴らしいのだ。
この本を買って繰り返し読みたまえ! これから諸君は何らかの形で指導者になる人間だ。 素晴らしい本を読みたまえ。
勉強をもっともっとしたまえ。何処でも席を座るならこそこそ隅に座るな!真ん中に座りなさい。】
 大体がこんな内容であった。この時から何かが変わったように思えた。 野田一夫教授は当時、ドラッガーの訳者として
高度成長期の売れっ子教授で、今でいうタレント教授的なところがあった。自信と個性の塊のような人で、人をある方向に
駆り立てるカリスマがあった。その後立教を辞めた。多摩大学の創立総長として、何度かTVでお目にかかった。
更に宮城大学も同様に創立に関わり総長をされていた。ドラッガーが愛読書になったのも野田教授のお陰である。 ≫
 ▼ この授業の直後、30日の欧州一周旅行に出発をした。そのカルチャーショックは、あまりに大きな衝撃であった。
  21年間の小さな固定観念が根こそぎ壊された。 連日、欧州文化と文明に直に触れ、また、夜は連日、飲み歩き。

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03月21日(金)
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