ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[393658hit]

■4574,  二代目のスポーツ自転車 ースポーツ自転車の勧めー5
 妄想的に構築された「ほんとうの私」に主体の座を明け渡さずに、生身の、具体的な生活に捉えられた、あまりぱっとしない
「正味の自分」をこそ主体としてあくまで維持することなのです。しかし、そのぱっとしない「正味の自分」を現代日本の
 メディアは全力を挙げて拒否し、それを幻想的な「ほんとうの自分」に置き換えようと私たちに促しつつけている。 ≫
  ▼ この文章から思いたってくるのは、 <「ほんとうの私」は実は幻想。周辺に見られていると思っていた「正味の自分」が、
  自分の実像でないか?>である。社会に出て、それぞれの世界で生きてきて、常に「ほんとうの私」という幻想が「正味の自分」を
 見ていた覚えがある。それが私を突き動かしてきた。しかし、このようにコペルニクス的なドンデン返しの真理を突きつけられると、
 根こそぎ人生を考え直さなければならない。そのため、神は老後の期間を与えたのだろう。 話は少し変わるが、土曜の午前中に
 家族の外見変身をテーマにした番組がある。家内が見ているので、自然と見るようになった。変身願望の家族、特に主婦に、番組が
 美容とブランド品の服飾で変身させ、あたかも、本当の貴女は少し手を加えれば美しいのですよ!と、幻想的セレブの家族を演出する。
 見る方も、本人たちも、その着せ替え幻想を楽しむバレエティ。それはそれで良いが、少し豊かになり背伸びをすると、
 その幻想世界と現実世界が入れ替わってしまう。森林(現役)に住んでいる内は良いが、一歩サバンナに踏み入れると正味の自分に
 向き合わざるをえなくなる。その時、私たちは「ほんとうの私」という幻想に縛られていた自分に気づく。(それさえ気づかない人が多い) 
 それと同じことが、総中流社会から総下流に幻想が移行しつつある日本である。バブル崩壊後、国民の過半数が実質、預金ゼロに
 なるなど総下流化の様相。その怒りが呪いになっている。「ほんとうの私」という幻想こそが、悪魔の正体。呪いは、自滅につながる。
 なる程、呪い呪われの時代である。これが当分続くとしたら、正味の自分の心のシェルターを用意すべきか。その正味の自分も幻想?
 ・・・・・・
3834, ツール(道具)について考えてみる ー1
2011年09月24日(土)
 電動アシスト自転車を使い始めて二年になるが、その日から日常が変わってしまった。足馴しに自転車で自宅から20分ほどの
信濃川の長岡大橋から大手大橋を一時間ほど一周してみたが、自動アシストのためペダルを踏むストレスが半減。そのためか
信濃川一周のポタリングが快適であることに気づいた。 空気が新鮮で、野鳥が多く飛び交い、川幅が広く、流れが緩やか。
そこから見る360度の視界がまた良い。川向こうから街中に向かう長岡大橋の上からのパノラマはライン川の風景に決して劣らない。
それと何より、自宅の生活圏から一歩外に出た開放感が良い。 自宅近くの栖吉川を30年近くウォーキングをしてていたが、
丁度その頃に工事で遠回りをしないと何時ものコースを行けないこともあって、切り替え時だった。 以来、12月から3月を除いた連日、
信濃川周辺のポタリングは日常生活の大きな柱になっている。新たな手段が生活を変えてしまった。
 10年前にパソコンをものにする最後のチャンスと必死の思いでパソコン教室に通いだし、このHPを立ち上げた。
それ以来、パソコンとネットが生活の核になっている。 過去を振り返ってみて学生時代に残した日記が、当時のままを記憶として
残してくれている。「書くこと、書き残すことの秘儀」というか、その価値を数十年後になって読み返して気づいたこともあって、
一日一文をHPに書き残すことにし、それが現在も続いている。事業のためとか、自己顕示欲のためでなく、「いま、ここ」を書き出すこと、
書き残すことの価値を知っているからこそ続いている。 日々の痕跡を残すために、ブログほど便利なツールはない。
そのためには開き直りと、公開の結果のマイナスの危険を承知した上に、それ以上の何かの利点を直感しているから書き続けている。

[5]続きを読む

09月24日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る