ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4552, 2050年の世界 ー3
確かに感覚で捉えても、錯覚ということもある。 まず、感覚と現実をデカルトは疑った。なる程、デカルトは近代哲学の祖である。
ここから、まず疑うのが知性、理性の出発点。 膨大の情報化の真っただ中で、このへんの事を、よく分かってないと、その洪水に
流されしまう。いわゆるB層の人々になってしまう。割り切ってしまえば、それも良いが。哲学で自分をつくろうとしているのだから、
現実も、感覚も、まず疑うことから出発しないと・・ あの人たち?のようになる ー その辺の記述を抜粋してみる
【◎ 最初に疑ったのは、「感覚」である。一般的には、自分が見たもの感じとったものは絶対に正しいと考えたくなるが、デカルトは
これに依存してはならないとした。 なぜなら、見えているもの、感じているものは、しばしば「錯覚」を起こすからである。
・・・要するに自分からの確信は世界を正確にとらえているとはかぎらない、ということである。逆に、この錯覚にさえ気をつければ
自分の感覚もあてになる、とも言えるが、デカルトは、どんな場合も間違いなく依拠できるもの、条件なしのものを追求しているので、
感覚には依拠できないとする。
◎ 次に疑いにかけたのは「現実」である。実は第一の疑いである「感覚」とこの「現実」とは重複した部分がある。
実際に見ているものは、「感覚」でもあり、「現実」でもあるからだ。だが、自分が今、経験していること、つまり感覚も含めて
把握していることが「リアル」だ、というイメージならば、「現実」を疑うデカルトの意図は少し明確になるだろ。
この「現実」に対してデカルトは、もしかすると、今現実と自分が思っているものも夢なのではないか、と疑ってみた。
夢なのか現実なのか、その見定めができない、ということである。こでもやはり、自分が夢を見ていないということが証明されれば
問題はなくなるのだが、むしろデカルトは、その根拠を必要としているので、確かなことではないとみなした。
◎ そして第三に、デカルトは数学を疑う。彼は最も擁護したいものを一度懐疑にさらしたことになる。数学的な真理は確かに、その
体系においては真理が成立しているかのように見えるが、新たな真理が発見されてしまうと、今まで信じてきたものもあっけなく
崩れることがある。デカルトはここで、数学を特権視せず世の中に多々ある約束事と同様のものとして、不確かなものとみなす。
このようにしてデカルトは、用心く、私たちが最も依拠するであろう「感覚」「現実」「数学」にそれぞれ落し穴があると強調する。
つまり、特に確からしいと思われているものさえ不確かなのだから、「すべてのものごとは不確かなものなのだ」ど判断するのだ。】
▼ 般若心経の「色即是空」の、色が現象であり、受想行織が感覚になる。それらの全てが、即、空であり、あてにならないと
デカルトは看破したのである。まず常識を疑うことが第一歩だが、それを疑っている自分の感覚を疑ってかかることこそ必要である。
緑の原野からサバンナに出てみて、「あの原野での出来事は何だったのだろう?」と、振り返ると、何も疑問を持たないで同じ行動
パターンを繰り返していた自分が見えてくる。そして、現在も同じようなことをしている。根こそぎ、否定すべきことが出来ない。
それをするには常に死を意識しなくてはならない。しかし、目を背けている弱い自分が、ここにいる。
・・・・・・
3812, 世の中、すべからく代理・代行 −2
2011年09月02日(金)
国会議員、地方議員も間接民主主義による、国民や地域社会の代理・代行業になる。
・セブンイレブンなどのコンビニは、車や徒歩で10分以内の住民が、買ってから10分以内に消費するニーズを満たす代行の店。
土地持ちのオーナーに全国区レベルの情報とシステムの提供で、互いの利点を生かしあっている。
・配送業が供給過剰のため熾烈な競争に入ったが、その中で一部業者は逆に成績を伸ばしていった。 家電なら、TVやDVD、
冷蔵庫、洗濯機などの配達先の取り付け作業を家電店に代わって請負うのである。パソコンもしかり。
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09月02日(月)
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