ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[393768hit]

■4465, 余命半年 −3
 無価値に映る(殊に若者にとっては)。だが大病を患ったり危機的な状況に追い込まれると、「当たり前の日常」の有り難さが身に沁みる。
 ある雑誌に「人生の意味について」を特集をしている。「人生に意味はあるでしょうか」という質問をさまざまな分野で文章を
 綴っている人々にぶつけ、二十一名からの回答を載せているのである。詩人の谷川俊太郎氏の回答の一部を紹介すると、
「人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っているのですが、言葉で言うとどうも据わりが悪い。禅問答ではありませんが、
 答えは「……とでも言うしかありません」となっていて、なるほど味わいという言い方があったなあと感心させられた。
 老いることには、当たり前の日常に備わった微妙な味わいを理解できるようになるといった効用があるのではないかと漠然と考えていた。
* 幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、楽しいこと、満足感を得ることーそのような躍動的で
 高揚感をもたらす事象との出会いであろう。こちらは個人差が大きく、ある人にとっては十分に喜ばしく感じられる出来事が別な人には
 むしろ物足らなさや悔しさを惹起することなどいくらでもある(たとえば優勝ではなくて二等賞に甘んじたとき)。こうしたことも、
 歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを告げる日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、
 窓の向こうに見える教会の屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とがまったく同じ赤であったことに今さらながら気付いた
 軽い驚きであるとか、学生時代に読んだ小説を再読してやっとその素晴らしさを悟った喜びとか、そういったもので十分に幸福の文脈を
 形成し得るに違いない。ガッツポーズをしたくなるような晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を感じ取ることができる。
  ・・・だがどうもわたしの世代に近いほど、歳を取っても貧欲というか大人げないというか、若さの尻尾を引きずっているというか、
往生際が悪い。年寄りではなく、中古品の若者や 古ぼけた中年としか見えない。歳を経たがゆえの味わいを楽しめずにいる。
それがために、不満や不全感ばかりが募る。≫
▼ 老人の殆どが老人性鬱症であり、20人に一人が鬱病患者。また80歳を超えると4人に一人が認知症になる厳しい現実がある。
  それより、私の年代で、既に4〜5人に一人が亡くなっている。おうおうに早死した人は、「人生として恵まれてない人」として
  思われる。とはいえ、生き残った人に待ち受けているのは煉獄の中のような日々である。それが必要な人がいる。地獄は娑婆にある。
・・・・・・
3725, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜A
2011年06月07日(火)
  ■ 今回の事態に、準備はあったか?      『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 二つの経済震災と、一つの自然震災で、あれよ、あれよの間に、倒産をしてしまった。 これは、たまたま立ち居地が悪かったと、
自分でも納得せざるを得ない。 倒産時の最悪の構えの準備は? 私と家内の厚生年金を40年続けてきたので、何とか生活はしていける。 
しかし自宅は借り入れの担保に入っているので今後、どうなるかである。 何とかクリアー? 出来なくても、それも定め。 
ホテルなどの長期設備投資は何があるかわからない前提で数十年かけてシェルターを準備をしておくのは、セオリー。
 あっさり倒産をしたのをみて、計画倒産?と数人に疑われたが、そんな『子供の寝小便』のようなことはしない。
「シェルター完備倒産」と評した人もいる。しかし徹底してなかった甘さを後悔している。 倒産は倒産であり、私は一度破産者に?
まさか自分が・・・である。 冷笑している貴君、「まさか自分が!と思っているけど、他人事でないんじゃ?どっちにしても、
『まさか』の何かが待っている。老化は、それまでの前提が、次々と破壊されていくことに気づいてないんじゃ?」と、醒めた目でみえる。
言い訳になってしまったが、反省も込めて、この本を何回かにわたり辿ってみる。

[5]続きを読む

06月07日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る