ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[394019hit]

■4288, 学ぶということ −2
「フタカラ」、多人数のカラオケを「タカラ」と呼ぶらしい。 ヒトカラは、歌の練習やストレスの発散に使われるが、何か侘しいか。
  * そろそろ今年の総括
 今年は、東北大震災と、30年続けてきた事業の惨事?が重なった。20%半ばの売上ダウンが三年目に入っても止まらず落ち続ければ、
この事態は当然。 恐慌の前ぶれの波に直撃されたことになる。 過去の40年近い事業人生で資金繰りの心配をしたことが無かった。
しかし、数値は数ヶ月後に資金枯渇状態になることを示していた。 何度も何度もシュミレーションしても、半年後にはアウト。 
その上に東北大震災が起こってしまえば何の躊躇することなく決断をせざるを得ない。 そうこうあって、心の痛手は深いが、未練とか、
後悔はない。 それより現在起きつつある大恐慌の近将来の到来と、東北震災の経済に及ぼすマイナス現象である。
 今さら最悪の状態の私が何を言わんであるが・・・  今年の総括は、もう少し年末が押し迫ってからにする。

・・・・・・・
3548, 遊ぶように生きる
2010年12月12日(日)
 =横尾忠則の、ある雑誌にあった「死を想う〜人生の一考察」が面白い!
    その一部を抜粋してみる=
【 一体人生とは何なんだ。お釈迦様は生老病死と言われた。確かに上手いことを言う人だ。 大抵の人間はこの四文字を経験する。
 お釈迦様みたいなエライ人でも、このことだけはぼくと平等である。 エライから死なないということはない。エライ人でも
 アカン人でも全員がこのフルコースを味わうことになっている。だったらぼくひとりが死を恐れるのはおかしいけれど死だけは
 自分にとって特別のもののように思っていて、他人の死は死でないのである。では一体何をそれほどまで恐れなければならないのか。
 死の到来が苦痛であることをわれわれは知っているが、死以上の苦痛がないのかといわれればそんなことはない。じゃ何がそんなに怖いか。
 死によって愛する人や物と別れなければならないからか。それとも死によって自分が消滅してしまうからか。消滅すれば全ての煩悩も
 瞬時に失くなり、身心的な苦痛から解放され、これこそ真の平和なんじゃないのか、なのにどうして真の乎和をそんなに恐れるのか。
 それとも死後生を信じているあまり、もしかしたら地獄に堕とされるのじゃないかと不安に襲われているためなのか。
 それはそうと、では人生の目的は何なのかということになる。 生きるため? 死ぬため? 感動するため? 美味い物を食べるため?
 金持ちになるため? 美人の奥様を持つため? etc  そこでぼくは考えた。ぼくの職業のアートと同じ生き方をすれば? と。
 ぼくにとってアートは仕事というより遊びだ。 目的のない遊びである。ところで遊びって最初から目的がないものでしょう。
 もし目的があるとすれば遊んでいること自体が目的である。 目的がないから自由があり、快楽があり、解放があるのではないだろうか。
 人間は本能的に自由を希求する。そしたら人生全部を遊びにすればいいのではないか。つまり人生から目的をはずしてしまえばいいのでは
 ないだろうか。 生きることも死ぬことも目的を持つからシンドイのである。どうせ生老病死なんだ。生老病死は別に目的ではない。
 単なる現象だ。 そしてお釈迦様に言わせれば現象は夢、幻だということになる。そんな実体のないものにいかにも実体があるかのように
 思って振り廻されているのなら、それを遊びだと思えばいいのではないか。 】
  ー人生に意味などないと、五木寛之も書いているが、意味=価値とすると、そんなわけがない!と言いたくもなる。
  身近の人の死をみると、様々の人生があるが、意味など、あまり深く考えても仕方がないような気がする。
  横尾のように、目的ない人生なら遊ぶとして、割り切るのも良いだろう。「遊びをせんと生まれけり」で、それはそれで。
・・・・・・・
3173, 閑話小題
2009年12月12日(土)
 * 腰痛
 腰痛が、この季節の変わり目にかかわらず、今のところ落ちついている。

[5]続きを読む

12月12日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る