ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4264, しまった! ー12
江戸や明治時代には多く見られたが、現代では経済的事情があり、そんな優雅がことは難しい。 いや、それより、早々に
産業廃棄物扱いをされてしまう恐怖感が壁になっている。 私も結果からして、10年前に会社を売却して、第二の人生に
入った方が得策だった?と考えたが、それは後講釈。どちらにしても結局は同じ。 事業に「たら、れば」はない。
積極的逸脱もあるなら消極的逸脱もあってよい。一般にいう落伍者である。落伍による失意の果てに待っているのが自死。
これも、あの世への積極的逸脱と考えられなくもないが、好き好んで自死をする人は皆無に近いから、消極的逸脱の果てになる。
鎌倉時代中期の僧侶一遍は時宗の開祖。「捨聖(すてひじり)」と尊称された。捨てて捨てて捨て去った人。
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3524, 「人・ひと」と、「人間」の違い
2010年11月18日(木)
私たちは「人」と「人間」の違いを意識せず何気なく使っている。しかし、そこにはハッキリした違いがあるようだ。
この違いについて膨大なエネルギーで和辻哲郎が研究している。
【 和辻哲郎は「人・ひと」と、「人間」の違いにこだわり、これがどのように混同されて使われてきたかを、英語、フランス語、
ドイツ語などと比較対照しながら、考察を進めてきた。日本語に「われひとともに」という言葉があるように、「ひと」「人」は
われの人としての自覚から始めて、他人を意味している。そのうち「ひと」は「人は言う」や「人聞きが悪い」などのように
世人・世間の意味に用いられるようになった。 では、「人間」という言葉はどうか。これは、人に間の字を添加している。
間を加えるとすると、すでに「ひと」「人」は、自、他、世人を意味しているのだから、そういう人の間を意味し、
そういう人の間の関係を示すということになる。人間とは世間であり、世界でもある。和辻は「法華経」や、その原典に関わる
古いインドの神話まで渉猟して、人間とはあくまで人間社会のことであって、天上や自然界に関わるものでないことを実証している。】
( 哲学者の言葉100 −稲垣真美著 p‐37 )
〜「人間は、人の間の関係を示す」とすると納得する。人は人との関わりあいの中で、人間になっていくのである。
また、それは人だけでなく、我われを産み出してきた根源といわれるものと発展していくが、それは、人間の意味に、
あくまでも含まないとする。根源を含め人間というと、それぞれの自己絶対化が生じてくる。一神教が、それを言いあらわしている。
人は人間関係、社会を通して人間になっていく。 書物を通した色いろな人物もである。「出会い」こそ、人を人間に変えていく。
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3149,つれづれに ー閑話小題
2009年11月18日(水)
* 論理的思考とは
毎日、二〜三時間かけてレポート1〜2枚分の文章を書き続けて8年半経つ。 自分のメルクマールのため続けているが、
この習慣で得たことは、「インプットした知識もあるが、各種の題材を探し出し、その要点をまとめ上げる過程で身に付いた
本質を見抜く視点と、それを起承転結にシンプルにまとめる論理力がついたことにある。」 論理構成力こそが、自分の核である。
その核?はウネウネとトグロを巻いているようで、ブラックホールのようなトンネルの先の別世界に繋がっているようにも思える。
大した論理構成力でないが、その蓄積と、その発酵は、トンネルの先で起こっているようだ。純真の視点ということか。
何かのイベントに参加すると、その事象をスラスラと文章化できるようになったのが一番の収穫である。
それは記憶のパッケージ化をしていることになる。その蓄積は人生経験を豊かにしてくれる。デジカメで日常の写真を撮り、
そこに言葉を添えて毎日の日記帳にすれば、それだけで豊かな気持ちになれる。 その人によるが。
* ブルーレイ録画機
7年間使ってきた、DVD録画機が故障を始めたので、ブルーレイをネットで買った。量販店の7〜8掛けである。
(字数制限のためカット2011年11月18日)
* オモシロ、オカシク
(字数制限のためカット2011年11月18日)
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11月18日(日)
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