ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3905、さらし首の独り言
(二〇〇八年)である。表情がいい。石井その人もまた、絵に似て、いい。長身で痩身。照れ屋で寡黙である。無愛想ではない。
温厚である。恥ずかしそうな笑顔である。1943年、神戸生まれ。父親はフィリピンのルソン島で戦死。祖母と母の三人で
暮らしてきた。その祖母も亡くなり、現在、母は九〇代になり老人保健施設で暮らしている。この個展で100万円の収入があった。
しかし石井はそれを貰うことを拒み、ある団体に寄附しようとしたのである。 画廊の主人はそれを思いとどまらせた。
絵を見てもらえるだけで満足だったのかもしれない。それ以上の反応は、おそらく過分なものだったのだろう。
その後、個展は大阪や東京でも開催されるようになり、作品もほとんど完売するという。 固定ファンもついた。
小さくて静かなブームになっているといっていい。だが、石井一男の生活は以前とまったく変わらない。マンションなどに
移るつもりはまったくないという。長屋の二畳と六畳一間の部屋。母親を見舞う。生活費は相変わらず月7.8万。・・・】
ー
勢古の本を読むのは数年ぶりだが、なかなか味わいが出てきた。 ところで朝のNHKのドラマ、今年になってから、
「ゲゲゲの女房」以来である。時間帯を7時半からBSで放送したこともある。現在は、「てっぱん」である。
下宿屋の人間模様を藤純子を主役?としている内容だが、そこに自閉症の初老の画家がいる。石井一男をモデルにしたのだろうかと
思ったが・・・・ ネットでみた石井一男の絵に、一瞬で虜になってしまった。パソコンにファイルしたが・・・
・・・・・・・・
3165,金本位制が復活? −2
2009年12月04日(金)
* ーそれでは、「アメリカ金本位制復活論」の高橋靖夫が文藝春秋に記載した一部を抜粋するー
1971年8月15日、ニクソン大統領は突然、金とドルの交換を停止した。世界を仰天させたこの「ニクソン・ショック」によって、
金は「通貨としての役割」を否定され、たんなる「商品としての地位」に追いやられた。 当時の通説は、「モノづくり」で
競争力を失った米国が、ドルを守り切れなくなったために「ブレストンウッズ体制を自ら放棄した。
ところがその後の米国といえば、崩壊どころかドル覇権を拡大し、冷戦終結後にはユニテラリズムを振りかざす
唯一超大国として「独り勝ち」を達成した。では、「崩壊」したかに見えたニクソン・ショックの狙いはなんだったのか。
ブレストンウッズ体制下では、アメリカは1オンス35ドルで各国政府の保有する金の交換を保証していたため、
赤字の増加は金の流出につながる。そこで米国は”負けたふり”をして「失った金の再備蓄」を密かに狙ったのだ。
米国は金とドルの交換という「責任」を放棄しながら、基軸通貨特権を享受しつつ、固定相場制から変動相場制への制度変更を
仕掛けたのだ。と同時に、金の通貨としての魅力を否定することで金相場を下落させ、失った金を安く買い戻せるように仕掛けた。
つまり金本位制を停止した時からすでに、再び金本位制に戻す機会を狙っていたのである。
むろん、そんなことは、経済白書で発表されることも、ウォールストリート・ジャーナルに書かれることもない。
しかし、米国が金を「捨てた」かのように見せつつ、決して金の価値を忘れていなかったことを記す状況証拠なら、幾らでもある。
たとえばニクソン・ショックからわずか3年後の74年12月、米国は奇妙なふたつの政策を実行した。
▲40年ぶりの「国民の金所有の自由化」
金先物市場の狙いは「ロンドンから金の価格決定権を奪う」こと、そして金所有の自由化は「民間による金の備蓄を進める」こと。
共に戦略的な「米国による金の囲い込み」である。 米国の金相場の操作は極めて巧妙だった。ヨーロッパの投機家たちを
抑え込むために、74年12月31日、国家備蓄のなかから200万オンス(約62t)の金を放出すると発表し、相場の「冷やし玉」にした。
同時に有力金融機関には「不買キャンペーン」を行わせた。その結果、金価格は74年12月31日の「国民への自由化」の197.5ドルを
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12月04日(日)
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