ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3830, 毒を溜めない! 日々
それは記憶、記録というだけでなく、【魂に記録される純粋記憶】になる。 それも余白の多い、現在も持続し書き込みをいる
瞬間像の記憶である。 そこを見入ると空間化された日常が消え去り、純粋持続の時間に入ってしまう。
 趣味に没頭している時間こそ純粋持続である。 好きな仕事に没頭している時間も純粋持続になる。だから仕事を好きに
なるまで追求すべし、という論がたつ。そのためには孤独を愛し、自己の確立をしておかないと心奥の純粋持続は維持できない。
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3090,「官僚内閣制」が終焉
 2009年09月20日(日)
  * 明治以来の政治形態の実態は「官僚内閣制度」
「日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ」飯尾潤著 に刺激の強い内容が書かれている。
 菅直人のブログにも「2重の政権交代」(2009年9月15日)と題して「今の政権交代は自民党から民主党への政権交代と
 官僚主導の官僚内閣から国民に選ばれた政治家主導の国会内閣への2重の政権交代。明治時代に内閣制度が生まれて初めて
 の大改革。この実現に全力を挙げたい。」と書いている。これまでの実態は議院内閣制度ではなくて官僚内閣制度であった。
  * 9月17日の産経新聞の正論のコーナーで屋山太郎が、その辺の実態と弊害を次のように述べている。
《 その官僚政治の元凶は財務省、その中の主計局である。 官僚政治は省の中の省である財務省に仕切られてきた。
 財務省は各省予算の査定と国税の査察の権限を持つ、これに真っ向から歯向かえる政治家は一人もいなかったろう。
 そこで民主党は予算の大枠を決める財務省のコアの部分を握ることになった。 主計局は戦略局の大方針に従うことになる。
 国家戦略会議に加えて「行政刷新会議」が設けられ、仙谷由人氏が担当相になった。自民党政権では「行政改革推進審議会」
「地方分権推進委員会」などを作って識者を集めた。私も土光臨調での「国鉄分割民営化」のあと12年にわたって行革審に
 参加させられた。この種の官僚が事務局を務める審議会は官僚にうまくごまかされ、全く無意味だった。
 新設される「行政刷新会議」が役人抜きで、政治家の判断で、運営されれば、地方分権から地域主権に至る改革にも到達できる。
 内閣に100人の政治家を入れるという。今までも60、70人入れていて効果がなかったから、意味がないという批判がある。
 しかし、効果を発揮できなかったのは大臣と副大臣、政務官が各派閥への均衡人事で配置され、全く“一体感”がなかったからだ。
 今回は大臣が自分の同志や盟友を集めてチームとして君臨する。秘書官がついて各個撃破されていた現状とは様変わりになる。
 重要案件は「閣僚委員会」で火曜、金曜の閣議の前日に行われた事務次官会議は、翌日閣議に諮る案件をすべて決める。
 閣議でそれ以外のことが議題になると即、閣僚懇談会に切り替えられ、正式の議題から外される。次官会議の決定は全会一致であり、
 一省でも反対すれば決定されない。貿易交渉などで日本の回答が何カ月、何年も遅れるのは全会一致主義のせいなのだ。
 この仕組みでは「農業で譲って他の分野で獲る」といった政治判断は不可能だ。この事務次官会議は明治19(1886)年
 から始まっているが、法令上の規定はない。明治の元勲政治以来の伝統で、自民党はこの官僚絶対の「慣習」さえ破棄することは
 できなかった。民主党はまず、この官僚支配の元凶である事務次官会議を廃止する。 重要案件は関係閣僚を集めた「閣僚委員会」
 で決するという。 民主党の「官僚内閣制」から「議会制民主主義」へ脱却するための仕掛けは実によく考えられている。
 安倍晋三内閣でも同様の発想で国家公務員法改正が行われ、渡辺喜美行革担当相時代に公務員制度改革基本法が成立した。
 これに基づいて麻生内閣で仕上げの法案が作られたが、最後の段階で谷公士(まさひと)人事院総裁が首相が招集した会議を
 ボイコットして法案は結局流れた。行政府の一機関にすぎない人事院総裁が首相の会議をボイコットするほど官僚は増長していた。
 日本の民主主義は官僚にスポイルされていたのだ。(ややま たろう)》

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09月20日(火)
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