ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3456, 渥美俊一氏死去 −2
第二の場が自立後、そして第三の場が中間の学生時代である。だから現在でも学生時代の友人と会いたくなるのである。
学生という身分でスポーツやゼミなどで日本中から集まった人たちと、酒を飲み、議論をし、旅行などをした。
第三の場所に父親に頭を押さえつけられた二世・三世が逃避しているケースが多く見られる。青年会議所、ライオンズなどである。
こういう時期に人間関係を形成する機会という見方もあるから否定は出来ないが、要は第一・第二・第三のバランス。
場所といえば、時間にも「第三の時間」という言葉が成り立つ。「第三の場所で過ごす時間」である。
時間と空間と具体的な内容ーTPOの問題と、それを受け止める心(立場)の問題が出てくる。
で、「第四の場所」を想定すると? 「絶対孤独の場」それとも「何かに夢中になっている場」か「忘我の読書」?
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2716, 東京について
2008年09月11日(木)
家内は東京大好き人間。 私は好きではないが、少なくとも住みたいとは思わない。
大都会は確かに情報が集まり、面白いかもしれないが、何か豊かさの方向を間違ってしまったように思える。
私は日本の中央の東京の反対側の日本海の都市で、職は新潟市、住いが長岡市である。
のんびりしているが四季の変化が激しく、地方特有の時間がユックリ流れている。そこには色いろな人生を、
活き活きと生きている人が多い。また夜になれば、そそくさと家に帰り、家人とノンビリと過ごせる。
私が千葉で事業を始めて二年後、家の事情で実家のある長岡に帰ろうと決意した時のこと、
仕事上で知り合った友人がいった一言「何で、その歳で都落ちをするの?」である。
その人は、やはり私の故郷の近くの出身者である。 Uターンを都落ちという言葉に驚いた。
あの雑踏の、ビルや車だらけの無機物の塊の、何処がよいのか? という見方は地方から見た感想になる。
それぞれの生きてきた過程もあるから一概には±を軽々しくは言えないが。長男が、半年前に帰省してきて最近勤め始めた。
そして、Uターンの人を評して曰く、「あの人は○○という会社の落ち武者」 自分を落ち武者と思っているから、
いうのだろうが、落ち武者とはそれなりの仕事を成し遂げた武士だろう?と。都会礼賛が何処かにあるからだろう。
確かに、お金と能力があり、長年住み慣れれば、大都会も良いのかもしれない。学生時代を含めると首都圏に8年居たが、
都会だから良いというより、青年期に都会に居たのが良かっただけ。
(字数制限のためカット 2010年9月11日)
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2007年09月11日(火)
2352.ベナレス・・・8
6、輪廻と解脱の思想
輪廻と解脱という考えは、ウパニシヤッド聖典(奥義書)の中に最初に現れた思想である。
過去の善悪の業(もともとの意味は行為)が現在の果報を生じ、現在の業が未来の果報を招くというように、
われわれの生死は繰り返し続いていく。古代の思想家の大半は、このような輪廻の世界に存在すること自体を
苦であると考え、いかにして輪廻の束縛から解放されるか、すなわち解脱できるかを最大の問題とした。
彼らにとつて解脱とは、自我の本質とされるアートマン(我)が宇宙を成り立たせている
根本原理、すなわち万有に遍在する力であるブラフマン(梵)に合一することである。
しかし、庶民一般にとつてはこのような思想はいささか難しく、普通は死後天界におもむくことと考えられている。
現在の生が過去の生の結果であるという考え方は一見宿命論的に思えるが、輪廻の大海で生死を繰り返すのも、
またその連鎖を断ち切つて解脱を獲得するのもすべては自己の行為にもとついている。
いわば執看を離れた努力主義精進主義こそが、ヒンドゥー教徒にとっての理想的な行動原理となつている。
解脱は日々の正しい行いの蓄積によつてこそ達成さる。
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輪廻と解脱。まあ、解りやすい因果応報の内容である。この位の制約をつけておかないと、
征服者の支配はインド大陸の中では不可能なのだろう。宗教による縛りとは考えたものである。
これで3000年支配してきたのだから、奇跡といえば奇跡である。
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09月11日(土)
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