ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3403, マイナス思考講座
他人に優しくなれなかったこと         ○       自分が一番と信じて疑わなかったこと   ○
遺産をどうするかを決めなかったこと      △       自分の葬儀を考えなかったこと      ○
故郷に帰らなかったこと            ○       美味しいものを食べておかなかったこと  ◎
仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと   ◎       行きたい場所に旅行しなかったこと    ◎
会いたい人に会っておかなかったこと      ◎       記憶に残る恋愛をしなかったこと    ???
結婚をしなかったこと             ○       子供を育てなかったこと         ○
子供を結婚させなかったこと          ○       自分の生きた証を残さなかったこと    ◎
生と死の問題を乗り越えられなかったこと    ○       神仏の教えをしらなかったこと      ○
愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと  ○
【 私(堀井)の実行度を主観で○(後悔しない)△(中間)×(後悔する)で評してみる?は未体験 】

 ー以下は、印象的と抜粋してあった内容をコピーしてみましたー
<私の中に三人、強い記憶を残している患者さんがいる。彼らは死を本当に恐れていなかった人たちである。
 残りの方たちは、大なり小なり死を恐れていた。しかし彼らは「まったくのゼロ」だった。死を恐れる気持ちが、である。
 しかも彼らは、私の知る限りでは何の宗教の信者でもなかった。もちろん日本的な宗教心はあったろう。
 けれども、どんな宗教の信者でもないとはっきりと言っていた。死を前にして、彼らの心は何のさざ波も起きていなかった。
 ただその時を粛々と、従容(しょうよう)として待っていた。 その中の一人に、ある女性がいた。
 自らが葬祭業者と話を詰め、彼女の死後も滞りなくささやかな葬礼が遂行されるように、彼女は緩和ケア病棟にて
 その計画を練っていた。 果たして、その願い通り、質素だけれども素晴らしい葬礼が催されたとの後日談を耳にした。
 ボランティアで彼女とかかわりのあったお坊さんが読経してくれたようだが、それも生前彼女から直々に
 頼まれたとのことだった。用意は完璧だった>         (同書100〜103ページより)
 〜〜
○×は手前勝手の判断だが、私は後悔しない生き方をしたきたことになる。 
死ぬことを何時も意識し準備をしてきた人は、その時には静かに受け容れることが出来るのである。 
それもこれも、死んでしまえば同じことだが、それよりジタバタはしたくない。 死から免れないと察知した時から、
それまで生きてきた分の人生を生きるというから、準備をしておかなければならない。
しかし、死を従容と受け容れることが人間に可能なのだろうか?  
・・・・・・・・・
2663, 「哲学づくと、どうなるか」
 2008年07月20日(日)
この随想日記を7年以上毎日書き続けたためか、以下のように左から右へと変わってしまった。 
但し重心だが。 ということは、過去の自己否定の辛い日々になっている? 
根本を突き詰めない日々  ー>   考える日々(考えざるを得ない日々))
日常に流される日々    ー>   新しい知識を求め続ける日々
役立つことを追求する日々 ー>   役に立つとか立たない外を求める日々
常識を加える日々     ー>   常識を根本的に疑う日々
実生活のプラスを加える日々ー>   真実とは何かを求める日々
マスコミに左右された日々 ー>   自分の道理を最優先にする日々  
群れを求める傾向     ー>   孤独の時間に重心を移動
要するに、自分の話す言葉、書く言葉を大事にするようになった。
その反面、これまでの表層的な自分の姿を思い出しながら赤面している。
そういえば、二十・三十歳代半までは右側の傾向が強かったようだが・・・
インターネットと、印刷の発明とドチラが人類にとって大発明になるのかといえば(私自身の判断だが)

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07月20日(火)
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