ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3404, この国の終わり
  「この国の終わり ー日本民族怪死の謎を解く」 林 秀彦 (著)
 
 18年間の海外生活から帰国した著者の目に映った日本は、いまにも滅亡しようとしている無惨な姿だった。
この本で三冊目になるが、時系列でいうと遡って読んでいることになる。帰国後の早い段階で書かれたためか、
日本の惨状の驚きと、怒りが新鮮である。 アメリカが60年間かけて作りあげた被植民地国家の悲惨な姿に
唖然とし、そして怒りの言葉が続く。私自身に著者が罵倒していると思いながら読むと、一言一言が胸に刺さる。
日本人には、そもそも「考える」という総合的な頭脳的現象が存在していなかった、という著者の見方が一貫している。
世界は常に修羅場であり、「決闘の場」なのである。相手が選ぶ武器は、こちらの武器でなければならない。
剣には剣、銃には銃である。何より必要なのは悪だくみには悪だくみ、最低でも同等同質の武器を持たないで生存が
不可能というが・・。グローバル化、ネット社会に入ってしまった現在、これまでの島国の国民性の改造が必要になる。
 ーまず、印象に残った箇所から
 * 恐怖不感症もしくは不安鈍感症   −P63
日本人は、世界一信じやすい民族なのだ。「疑っちゃ相手に悪い」という心情が働く。何でもかんでも「信ずるものよ、幸いなり」
で貫く。疑うことは不道徳、といった観念まである。恐るぺきノータリン、ノータリンここに極まれりである。
疑うという心情作用は一種の恐怖であり、不安によって触発される。簡単に言えば、人は恐怖と不安という触媒によって進歩する。
ところが日本人は恐怖不感症である。不安鈍感症である。あるいは逆に、あまりにも臆病で卑怯だから恐怖や
不安を先回りして回避する。目をつむり、恐怖の実体を無視する。そしてその場限りの「逃げ」だけで片付ける。
だかち戦争をはじめとするすぺての防災対策は後手後手になる。治にあって乱を忘るるなかれ、などという段階ではない。
乱の真っ最中でも、その乱を感じ取れずボケている。呆けているほうが楽なのだ。
そしていままでそれで何とかやってこられた。幸いなことにこの列島には資源がほとんどない、だから助かった。
 〜〜
 この国家的危機の中でも、国民の危機感が感じられない。そして頭を(首相を)取り替えることで、目先の不安解消にしている。
もう絶望の事態だろう、これでは。65年かけたアメリカによる日本国民への植民地化計画の完成が、現在の日本人である。
自分を見れば分かることだが、家内や親戚など身近な人を見ても、その完成体?に近いのでは、と新鮮に驚いている。
 ・・・・・・・・
3029,本屋に行くと何故トイレに行きたくなるのか?
 2009年07月21日(火)
 学生時代に新宿の紀伊国屋に行くと高い確率でトイレに行きたくなり不思議に思ったことがあった。
そして、新潟にユーターンで帰ってきた後も、新潟の万代シティの紀伊国屋に行くとトイレに行きたくなる。
ところが歳を重ねるにつれて、全くなくなったのは何だろうか。 若いときは、このことが独自のことではなく、
一般的傾向など知らなかったし、そういうことを話題にすることもなかった。最近になって、私だけの傾向ではないと知った。 
本屋だけでなく、図書館も同じような傾向があるが、本屋の方が傾向が強い。 私の知人は便秘気味になると図書館に行くという。
あのかび臭いが効果があるという。インク、のり、紙などの複合した臭いが、脳のどこかを刺激するものと言われている。
私自身も、その臭いが条件反射的に生理反応が起きるのか、一冊一冊を手に取るときの何か異様な緊張感が、そうさせるか
半々だろうと思っていた。 いま一つは著者の凝縮したエネルギーが、その本を手に取り、中を覗きみることで、
脳に強い刺激を与えることも考えられる。 大腸は脳の刺激を一番刺激を受けるというから、その要素が重なるのだろう。
また作家の霊(思い)が本屋や図書館に漂っていて、更に大腸を刺激するのである。 
 作家の山田風太郎は霊感が強く、全国の神社・仏閣に行くと、必ずトイレに行きたくなるという。

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07月21日(水)
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