ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3222, フリー −2
とりわけ中東欧諸国の債務不履行が時限爆弾になっている。また中南米向けにはスペインの与信が積みあがっている」
「中国についても、社会と政治へのバブル破裂の懸念がある。中国は経済が落ち込むたびに、社会が混乱に陥る。
1950年代の大躍進後に、60年代の文化大革命とその後の混乱があり、89年には天安門事件が起きた。
今また輸出主導の経済発展が行き詰っている。中国積みの船は空っぽで、在庫の山が積み上がっている。
政府は景気刺激に躍起だが、90年代の日本を見ても功を奏するとは思えない。年率8〜8・5パーセントの
成長を前提にしているが09年には5パーセント程度に鈍化しかけない。中国経済は弾みに支えられており、
いざという時の社会的な安全装置がない。世界全体にとってアメリカはここ何十年か『最大の買い手』だった。
そのアメリカが困難に陥り、輸出主導の新興国も揺らいでいる」と語っていた。
 −まあ、その通りであるが、中国も、欧州も、日本もザマ〜ミロという感情だったが、
気がついてみれば、そのアメリカより、直接の被害が結果として大きくなるのである。
・・・・・・・・・
2008年01月20日
2482, イプセンの「人形の家」
   |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ
「考えないのは人形でしかない!」グサリと胸に突き刺さる言葉である。
目の前の相手に、そして信頼している人に、判断を委ねるしかない人は人形でしかない!
これをイプセンが「人形の家」で、言いたかったことである。 人間は何故、考えることから逃げるのだろうか。
それは責任を負いたくないからである。責任を負うということは判断をするため考えなくてはならないのである。
それを放棄した人間は人形でしかない。ノルウェーの作家のイプセンの「人形の家」で、主人公のノラは、
夫のヘルメルに、次のような言葉を語る。 (この言葉が婦人解放運動の原点になる)
ー「あなたはわたしに対して、いつも大変親切にしてくださいました。でもわたしの家庭はほんの遊戯室にすぎませんでした。
私は実家で父の人形っ子だったように、この家ではあなたの人形妻でした。そしてあたしが子供たちのお相手をして遊んで
やりますと、みんなが嬉しがるように、あなたがあたしの相手になって遊んでくささると、あたしも嬉しがったものです。
これがあたしたちの結婚生活だったんですよ、あなた。」
 この言葉の前に、夫に「お前は、この家に来て幸福じゃなかったのか?」と聞かれて、
「ちっとも幸福ではありませんでした」と女主人公のノラは答えます。「ただ面白かっただけです」と言う。ー
誰も自分の頭で考えることは責任を伴うことを知っている。だから、責任から回避するために考えないことを選択するのだ。
それが目先だけを生きる知恵として、自分の首を絞めていることと分かっていても、判断から逃げようとする。
だたただロボットのように同じことを繰返すことに、二十日ネズミのように、輪の中で走ることに全エネルギーを注ぐ。
これが人間の真の姿といってよい。そして、人生の終わりになって初めて己のその無駄な姿に気がつくのである。 
ところで、昔、広田三枝子の「人形の家」という流行歌があった。
なかにし礼の作詞だが、考えない馬鹿(愛らしい)な女の悲哀を歌ったのである。
「大衆は考えない人間」を総称した言葉?。 だから、こういう歌ができるのだ。
ノラの正反対の生き方、考えない、責任から逃げ回っている人間の。
                   ・ω・】ノ  ホナ!
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2007年01月20日(土)
2118, 品格について −2     才八∋ウ_〆(∀`●)              
 福田和夫著「成熟への名作案内」の 一節で取りあげている次の文がよい。
 −−
 英国在住の日本人作家カズオ・イシグロ(石黒一雄)は「日の名残り」の中で、語り手たる執事スティーブンスに
 ー偉大さの条件は、品格にあるーと言わせている。
 ではその「品格とは何か」という問いに、偉大な執事であった父を想起しながら、以下のように考える場面がある。

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01月20日(水)
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