ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3148,殺人事件の半分は家族内殺人
「眼と心を星空に向け、その眼と心をもって世界を見直すこと」という言葉は心に沁みる。
西洋的な見方は分別的知性であり、「分けて制する」、つまり主客を分別することで知の成立を図る思考であり、
そこから一般化、概念化、抽象化という体系が生まれ工業化や産業化が成功裡に展開される土壌になったと大拙はみる。
他方、東洋的な見方は対置概念を退け、主客未分化のまま「無分別の、分別」によって円融自在に全体を
捉えようとする知性である。 西洋に真摯に向き合いつつ、論理万能の分断的知性の限界を大拙は見抜いていた。
ある時、弟子が「禅の話などアメリカ人に分りますか」と尋ねたという。
大拙は「君たちには分るのかね」と答えた。 大拙の本質に迫る話だと思う。】
  〜〜
  己の人生を振り返りと、「狭い世界の中で、浅い知識」を振り回して生きてきただけの輪郭が見えてくる。
  この随想日記で書いていることが、私の輪郭で、私の馬鹿の壁である。 いまさら、こんなものだが・・・
  私の秘・異郷のツアーは、そのことを毎回、学びに行くようなもの。
  僅か1〜2週間の中で異次元の世界を垣間見て、世界の「外の広さ」と」内の深さ」を直感することが出来るのである。
 「眼と心を外の広い世界に向け、その眼と心をもって現実を見直すこと」で、独りよがりになり、自らを失っていることを
  改めて見直すことが最大の収穫になる。 毎回、つくづく外は広く、内は深いことに驚愕し帰ってくる。
  そして、「己の世界の狭さと、内の浅さ」に独り溜息をつくことになる。
 「うえをみれば、きりがない。したをみれば、そこがない。よこをみれば、なさけない」 を捩って、
 「外をみれば、果てが無い。 内をみれば、際が無い。 自分をみれば、なにも無い」になる。
                                最期の二行は必要ないか?
・・・・・・・・・
2007年11月17日(土)
2418, よく生きる −3
          才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪

宗教の問題も、それぞれの人間にとって大きな問題である。日本人が平気で外人に「私は無宗教」と言うと、
腰を抜かさんばかりに驚くとか。多神教の風土が無宗教と言わしめるのだろうが。しかし著者の次の内容は、
宗教の必要性を解りやすく説いている。私達は大いなる根源から送り出され、そして根源に帰って行くのだ。
その道筋は、それぞれ違っても行きつくところは同じであろう。その違った宗教観を持った人の集まりが社会である。
宗教観と社会観を理解してないと、よく生きることは出来ない。
 その部分を、「まえがき」の部分から抜粋してみる。
 −−−
(3)さて、人は自己を実現して自分の存在を確保し、他者との交わりによって愛の喜びを味わっも、挫折、病気、老化、
死という関門が待ち構えています。この問題について本格的な態度を持ちえなければ、真の安らぎには至りえないでしょう。
それが第三の論点、すなわち宗教の問題です。この問題は一言でいえば、私たちと私たちの存在の根源、言い換えれば、
宇宙のすべての存在者の根源との関わりの問題です。この根源は、人類の中で、存在、神、絶対者、道、
天、空、ヤーヴェ、仏、アラー、ブラフマンなどなど、いろいろな名前で呼ばれてきました。
要するに、私たち個々の存在者はこの根源から送り出され、死を通しての根源へと帰るのです。
このとき、この根源を善意に満ちた親と考え、優しい親元へと帰るのだと信じることができれば、安らぎが生れるでしょう。
それはすべての存在者を生み出した根源ですから、そ二では自分と他老の区別が意味をなさなくなるでしょう。
それが自他不二の世界であり、絶対者の懐に抱かれて万人が肯定される世界です。 ところで宗教的人間は、
一般に特定の宗教に献身していますが、人類の歴史を血まみれにした宗教戦争の惨禍を乗り越えるためには、
各人が自己絶対化を捨てなければならないでしょう。
多者共存が人類共生の不可避の前提となった現代においては、それゆえ、すべての偉大な宗教が

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11月17日(火)
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