ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3102, かなしみの詩
出版社から「いじめ問題や親子問題が多い現実にひとつの警鐘を」とくどかれ思い悩んだ末、出版したという。
この本を忠実にドラマ化したのが、TVの内容であった。
ーその大筋を書いてみるー
不動産業をしていた父が事業に失敗して一家は離散。父と東京・池袋の簡易宿泊街で暮らした。
酒浸りの父に代わってパチンコでかせいで夕食にありつく毎日。
高度経済成長期の昭和35年の頃の、学校に行けなかった1年間の生活を淡々と描写してある。
父とふたり、池袋のドヤ街でその日暮らしをしていた彼女を支えてくれたのは、街で出会ったパチンコ屋の兄さん、
やくざのお兄さん…など普通の人々である。弱者に対して優しかった時代であった。そこは池袋駅西口を背にして
左に数分歩くと、東京芸術劇場がみえてくる。目的地はその斜め向かいにあるホテルメトロポリタンだ。
かつてそこには1泊100円の簡易宿泊所があった。昭和35年、小学5年生上條は、当時43歳だった
その日暮らしの父親と2人、やむなくのホームレス生活だった。
10歳という年で、道にお金が落ちていないか、道をさまよい、パチンコ屋の前で玉を拾い、パチンコをする。
1個、2個、3個と球が無くなり、4個目にチュウリップに入り玉が出る。5個目の球が、途中でひっかかると、
隣のおばさんが「このスイッチを押すと店員さんが来てくれるよ」と、教えられ、ブザーを押す。
そこの店員が機械が壊れたと思い「どうしたの」聞いた。さなえは自分がどうしたのかと聞かれたと思い
「お父さんが病気なの」とかぼそい声で答えた。それを聞いた店員は気の毒に思い、多くの球が出してやる。
さらに金に換える方法を教えてくれた。教えられて行った景品屋のヤクザが同情して、高い値段で買い取ってやる。
それから毎日、パチンコに通い、生活を支えた。しかし、ついに父が言う、
「なぁ、なこちゃん、父ちゃんお前を育てるのに疲れちゃったよ」
「なこちゃん、死のうか」 しかし、「子どもって、かなしいよね。大人に決められたら逆らえないし、
どんないやなことだって、がまんしなきゃならないもんね」
「でも、なこちゃんは幸せだよ。お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、いるから」。
いつも友のこの言葉を反芻(はんすう)し、壊れていく父を励まし、生き抜く。
こうした放浪の状態では、学校に通えなかったが、簡易宿泊所でドリルを使って勉強したり、ヤクザから算数を習ったり、
映画館に通い洋画の字幕などを見て勉強をする。お金がないのに映画館に通えたのは「中に父親がいるの。探してもいい?」
と受付の人に言って、映画館に「フリーパス」で入っていく智慧を使う。
また、当時の米国のケネディ大統領の演説「国が何をしてくれるかではなく、国のために自分が何をできるか」をTVでみて、
「親が何をしてくれるか、ではなく、親のために子供が何をできるか」に切り替えて、親のために宿泊費を稼ぐ動機にする。
見かねたヤクザに説教された父親は本人を養護学校に入れる。ドヤ街生活が長く貧しく、服装も他の子供とは
異なっていたこともあり、そこでは壮絶なイジメにあうが、「いじめなんてなんでもない、それより、
帰る家のない明日泊まる所や、食べることの心配をする生活のほうがどれだけ大変か」と子供心に思い耐える。
ーーーー
以上であるが、感動的だったのが、そのドラマを収録している場面に、
当の上条さなえが入ってきて、子役に涙しながら抱きついたところである。
どんな気持ちで、当時の自分と抱き合ったのだろうか?
学生時代、よくあの辺の映画館に行ったので何かドラマがリアルに思えた。
色いろな人生があるものである。
私が10歳の頃を忠実に書いたら、これまた面白いだろう!
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2737, 1929年の世界恐慌とは?
2008年10月02日(木)
昨日の毎日新聞の 「なるほどドリ」質問、 というコーナーの記事が1929年の大恐慌と、今回の金融危機を
対比して説明している。これによると全米の銀行の半分が倒産、それにともない企業も倒産ラッシュで、
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10月02日(金)
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