ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3034, バブル時と現在の比較は
35年間つづいた米英の通貨支配が終わり、多極化の時代に入りつつあるということだ。
この時代にアメリカの属国だった日本が、このプロセスの中で一番の劣化をするしかない冷徹な事実がある。
中国は製造工場として、インドはサービス業を特化して、それぞれ特性を生かし紆余曲折を繰り返しながら
成長をするだろう。 その中で日本は、企画製造型のメーカーという生き方が主流になる。
知恵を生かした会社経営が求められる。個人としては知恵を生かした生き方である。
ドラッガーは「知識社会」の到来を予測していた。そのモデルが日本と言って無いが、充分に条件は揃っている。
とりあえず、今年も含め目先数年は、緊急事態である。 緊急処置をとらなければ手遅れになる。
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2007年07月26日(木)
2305, ぼくの血となり肉となった500冊・・・
ー立花隆著
ー読書日記ー
6年の間、毎日一文章を書き上げてきてプロの物書きの凄みが見えてきた。
特に一流といわれる人の圧倒的読書量と、書き上げてきた多岐にわたる文章の多さに
唖然とする。問題の在りかを見つける感覚と、それを正確に文章に書きあげる能力は、
シッカリした下積みの基礎があるのだ。 どの世界でもプロは甘くはない。
底知れぬ能力ある人たちの中で頭角を現すのは、そう簡単でない。
しかし、ここまで見せつけられると納得をする・・もの書きの下積みのインプットは尋常ではない!
ーその一部を抜粋するー
私はいちばん真剣にいちばん多くの本を読み、本格的な人格形成を行ったのは、
二十四歳で大学を卒業して文春に入り、三十四歳で「田中角栄研究」を書くにいたるまでの十年間である。
その十年の間に、私はせっかく入った文春を辞めて大学に戻ったり、はたまた大学をやめてもの書きになったり、
もの書き稼業を捨てて、新宿でバーを経営したり、かと思うと、何もかも捨てて、中近東とヨーロッパを放浪する
旅に出たりと、あまり尋常ではない人生の軌跡をたどっていた。その十年の間に、私ははじめての著書
『素手でのし上った男たち』を上梓し、つづいて第二の著書『思考の技術』を出版した。
またこの時期にゴーストライターとして、香月泰男名で『私のシベリヤ』を刊行したし、立花隆とは別の
もう一つのペンネームである菊入龍介名義を用いて『日本経済・自壊の構造』という本を出した。
同じ十年聞に、立花隆名で「文藝春秋」「諸君!」「潮」「週刊文春」「週刊現代」に、多数の雑誌記事を書いたが、
実は、全くの匿名で、その何倍もの原稿をさまざまの週刊誌、月刊誌に書いていた。
そのような文筆活動を通して徐々に活字の世界で立花隆の名が知られるようになっていったが、必ずしも世に広く
知られるようになったわけではない。しかし、三十四歳のときに書いた「田中角栄研究」によって人生が一変した。
ということは、二十四歳から三十四歳にかけての十年間を一言で表現すれば、「田中角栄研究」以前の十年間になる。
その十年聞は若干のアウトプットもしていたが、圧倒的時間をインプ・トにさいていた。
生活環境は次々に変わっていったが、とにかく読書にさく時間がいちばん多かった。つまり、私の血肉になる読書の大半は、
この時期になされたのである。それがこの時期に焦点をあてようと思った最大の理由だ。
(字数の関係で中略カット2008年07月26日)
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これを読んだだけでも、この人の圧倒的な知識を思いやられる。
他人は他人とはいうが、それにしても知識という面で自分を対比すると、
その貧弱さに呆然とする。外務省の佐藤優も、そうだが・・・
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2006年07月26日(水)
1940, 新潟活性化案ー3
おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
7月の22日、三回目の新潟活性化のための会が、会社の事務所で開かれた。 県の??と、長岡、三条、新潟の
地区の経営者など7人の会であった。7月の28日に開かれる会の下準備の意味もあった。
当日の朝、それまで二回の会の主だった流れを以下の通り纏めてみた。
ーー
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07月26日(日)
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