ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3035,「顔」を哲学すると
 「顔」について哲学をしている文章に殆ど出くわしたことがない。 
特に女性の場合、その造作で人生を変えてしまうほど大きな要素になるのにである。
そこでネットで調べてみたが、これはというのが、やはりない。それでは自分で考えてみることにした。
 古代よりクレオパトラや小野の小町など、美人は特別に扱われてきた。 考えてみれば顔の部分のバランスと、
全身のバランスが整っているだけで、何で?と誰も疑問を持たない。 そこで考えられるのが、顔が露出した
全身の凝縮した表出であるからだ。また眼は内臓が身体の外に、そのまま出ている唯一の部分である。
「眼は口ほどに、モノをいい」というほど、内面が現出しやすい。さらに顔は何代もかかって作られる。
更に、年齢を重ねると苦労とか、感動、感激の蓄積した内面が、そのまま現われ出てくるから、人間は顔に興味を抱く。
どんな人間も顔にはドラマが書いてあると大作家が語っていたが、その通り。 男の顔は履歴書で、女の顔は請求書とは、
よくいったものだ。 徳岡球子が歴史上の人物の顔をモチーフにした「面構え」シリーズで、多くの作品を残している。
漫画的の描き方で、その人間の内面の味を炙り出している。晩年の顔ほど、その人の人柄が出るからだろう。
その意味で写楽の絵が、その典型である。 一月前にWoWoWで「写楽」を映画でみたが、これが面白い。
 ところで若い女性にとっては、美人かどうかが一大問題。 そのために、整形もするし、高い化粧品をつかい、
毎日、数時間も鏡の前に座り、化粧品をぬったくり、色いろな表情をして魅力を高めようと明け暮れる。
「美人」の「美」とは、バランスが取れていること。 美男美女の顔は「左右のバランスにある」という。
他のバランスを含め、その調整ために化粧をするのであって、決して肌を覆い隠すためではない。
 先日、「清水次郎長顔が日本から消えた」というテーマで書いたが、内面から滲み出てくるほどの危機が
なくなってきたこともある。 田中角栄や吉田茂、そして佐藤栄作のようなドスのきいた顔は現在の政界には見当たらない。 
人の顔は、経験の重なって出来るもの。 「40歳過ぎたら自分の顔に責任を持て」とは、そのためである。
 数年前になるが、高校野球をTVで見ていたら、慶応高校と四国の高校生の野球試合の応援団の生徒達の顔つきの違いに
思わず笑ったことがあった。 都会面と、田舎面の違いが明確だったからだ。 一見、都会面のほうが良さそうに見えたが、
良く見ると、都会面は個性のない画一顔。 それに対して田舎面の方は一人ひとりが個性が滲み出ていた。
船頭の息子とか、百姓の倅の農村の味である。 顔は手相と同じで、万人が違う、だから興味を持つのである。 
 韓国の女性は、日本人と比べると、大きな割合で整形手術をしているという。 考えて見れば変である。
     でも、見とれるほどの美人は、好きである! めったに居ないが・・・

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2670, おばさん、の話
2008年07月27日(日)

「おばさん」という言葉が、既に「何とかハラスメント」という圧力があるという。
 ーおばさんとは、
「女という演技を止めた女性」「男と同じ部分をみつけて、同化を始めた女性」
「老化のバランスの崩れに対して抵抗しなくなった女性」
「世間という世界にドップリ漬かった中年女」等々、書けば幾らでも要素が出てくる。
女という演技を止めた女というのが、言いえて妙。 女性が一番美しいのは、40歳前後という。 おばさんへの、
折り返し地点であるからだ。演技を止めようか、それとも最後の濃艶な女を演じようか、その際が光輝くからである。
一子(長男、長女)の子どもから手が離れ、少し余裕が出てくるが、多くの問題が一挙に押し寄せる時期。
人生の境目でフト我に返ったときに、女の最後の美も失われようとしている。 
「私の人生は何だったのだろうか。男(亭主・恋人)には仕事という生甲斐がある。
自分には、空しい小さな世間しかない。 これでは、自分の人生は浮かばれない。」等々の妄想がよぎる。
肉体的には本格的な老化が始まり、精神のバランスも崩れる。

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07月27日(月)
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