ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3017, 閑話小題
大海原や砂漠に立ったときに三六〇度ぐるりを水平線、地平線が取り囲む。「地平」とは、地平線の内側、
自分が立っている足下とは逆に、地平があればこそ、その中にある何かを認識することができる。
もちろん、今わたしが位置する地平の外側にある対象も、わたしが移動すれば見えるようになる。
しかし、そのとき地平もわたしと一緒に移動しており、したがってその対象が地平の内部にあることには代わりはない。
物置から出てきた掛け軸の場合、この地平にあたるのは、骨董品を貴重とする価値観、その値打ちを判定するための経験、
知識だ。一定の価値観や知識があればこそ、古びた品物をそのまま捨ててしまうのではなく、目をとめ、
値打ちを判定することができる。あらたな経験を積み、地平が移動し、拡大すれば、これまでわからなかった
ものの値打ちもわかるようになるだろう。肝心なことは、自分の足下にある地平を通常、ひとは意識しないということである。
自分にどれだけの経験があるのか、どのような価値基準をもっているのかのリストをもっている人は誰もいない。
いつの間にか身につけた価値観や経験に応じて、ひとは、その場の諸問題に対処する。
その結果、各人は、自分でも気づかないまま自分の地平に束縛されている。 なにしろ、自分がどのような価値観や経験を
持っているかを客観視する方途はないのである。 しかも、このように地平に幽閉された状態であるかぎり、
それぞれは自分がそれまでに身につけた価値観や経験から、身の回りのすべてのもの、したがって他人をも判断するしかない。
もし、相手が自分とは異なる地平に立っていれば、その相手の言うことや、やることはまるで理解の範囲外ということになる。
古物に意味を認めない人物には、物置の掛け軸を二束三文で売ってはいけないという人物の言うことは理解できないのである。
では、この状況が変わることはありえないのだろうか。
自分とは異なる他者を理解しうるためには、各人が「心を開いて」いなければならないとガダマーは言う。
他人の言葉や行為をすべて自分の地平の枠内で処理しているかぎり、そもそも【自分とは異なるものがいる」
ということ自体に気づくことはない。けれども、何かのきっかけで、自分が何らかの地平にとらわれていることに気づくときがある。
そのときはじめて、ひとは自分の地平を対象化し、相対化するだろう。そして、それまで自分がとらわれていたのとは別の地平も
ありうるということに気づくことになる。 官僚出身者特有の話し方をしていた政治家も、落選が続けば、
土地の人たちの言葉でしゃぺり、かつ、自分の意見を伝えることができるようになるだろう。
??
他人から理解してもらえないという嘆きほど、バカバカしいことは以上からみても解るだろう。
一人の人間を理解するなど、到底不可能でである。自分でさえ理解できないのに。
ただ馬鹿なオッサンだけは解るが!
・・・・・・・・・・
2007年07月09日(月)
2288, ちょっとした勉強のコツ ?2
(p≧w≦q) オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ ヨウ?
ー読書日記
この本の中の「三つのことば」についても、面白い!
ーまずは、その要約をしてみたー
ーーーー
ことばには三種類ある。
?ひとつは、生まれてまず覚えるもので、たいていは、ものの名前。
それと、ごく少数の動詞をふくむにすぎない。日常の最小限のコミュニケーションはこれでできる。
この特質は、ものごとを直接的に指し示すところ。‘いま’‘ここ’にある事がらについての表現である。
これをアルファーとする。
ーもうひとつは、ベーターのことばとする。
これは、人間の文化、価値のあるウソを多くふくんでおり、そういうものにかかわりのあるもの。
虚構、フィクション、創作、創造など。 昔話、おとぎ話などをいう。
昔話をきいているうちに、見ることのできない、触れることもできない非現実的世界を
頭の中に描き出すようになる。 つまり、想像力によってストーリーを理解することば。
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07月09日(木)
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