ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[395673hit]

■2962,若者たちは今 −2
誰もが一度通らなければならない精神的脱皮の時である。
働くとは何か?  金を稼ぐことである。 生きるためである。
そして、その中に生甲斐を見出していくことである。
一度、徹底的に自分を破壊して、金を稼ぐプロとして再生しなければならない。
これが三年目にくるか、十年目にくるか、それぞれ違うだろうが。

ーまずは、その部分を抜粋してみる。
 ーー
「・・ある日、私は上司に呼ばれ、きみはまだ学生気分が抜けていないんじゃないか、
お世辞、お愛想の言い方がへただ、と注意された。突然のことに当惑していると、
上司は自分の机の抽出しから一冊の本を取り出し、いきない「これは何だッ。」と呶鳴った。
見れば、それは私の本だった。当時、新潮文庫の一冊として上板された、プラトーン・田中美知太郎訳
「ソークラテースの弁明」であった。私は己れを慰めるためにそれを書店で求め、通勤の往き帰りに
電車のなかで読んでいた。 上司はそれを私の机の中から取り出し、咎めているのだった。
「俺はお前が週刊誌を読んでいる姿、見たことねえぞ。これは何だ。
こんなもの読みやがって。こんなもの読んでて、金に頭を下げられると思ってんのか。
人間の心は捨てろ。そうすれば、どんなことだって平気で出来る。
人におべんちゃらを言うことだって、人を騙すことだって平気で出来る。
俺たちは人に頭を下げることによって、飯を喰ってんじゃねえぞ。
金に頭を下げることによって、喰ってるんだ。いいか。お前はその屈辱にもよう堪えん男じゃないか。
金に頭を下げることのありがたさを知ったら、どんなことだって出来る。
屈辱に堪えること、それがお前の喰う飯の味だ。お前だって、金なしには飯が喰えん男じゃねえか。
その金は誰からもらうっているんだ。おう、どんな別嬪も便所へ行ったら、パンツを脱いでしゃがむんだ。
人間の心を捨てろ。いいか。」 ・・・  私にあっては、この小事件は大きな意味・価値を持っていた。
私はプラトーンを読みながら、併しまた同じくプラトーンを読む他人で、これを読むことに屈辱を覚えない人には、
も早何も共感を覚えなくなっていた。 世の中にはプラトーンを読む人は多く、寧ろこれを読むことを己れの「誇り」
にしている人の方が多い。私にはその自慢がましい精神態度が、頓珍漢な思い上がりにしか見えなくなった。
・・・併し私はそれでもプラトーンを求めないではいられなかった。この屈折は、私に苦痛を強いた。
  ーー
  解) 私が金沢の某会社に勤めていときの上司に似たようなことを言われたことがある。
    もっと次元の低い内容であったが、まだハッキリ憶えている。 その時は「自分の見える限界でしか、
    人は見えないということか?」と頭の中で呟いていたことを覚えている。
    上司や仲間を同列の相手として見ていない自分が、そこにあった。
    甘さを背中に抱えながら、見て見ないようにしていた自分が当時の自分であった。
    この文章を読みながら、なるほど金を稼ぐということの難しさを改めて思い知った。
    生存と、成長と、ライバルとの競争と、何の手がかりのない空虚のあせりの中で・・・
    当時は、目の前に置かれた一冊の宗教書「大本教の出口王三郎」の言葉であった。
    その歪みの心の中で、木に登って=「プラトンを読んで」現実からの自己逃避をしていた著者と、
    現実という熊の吐く息が、その上司である。今の若者、いやこれは何時の時代にも通じることだが、
    本も重要だが、シッカリと地に足をつけた割り切りも重要である。現在の私の年齢の厳しさは、
    過去の自分の足取りがそのまま、自分に突きつけられるためである。
    心が締め付けられる思いを毎日のようにしている。 ただ金銭感覚は、両親から徹底的に教え込まれたが、
    一日、二時間の読書は必ず、していたが、それでも後悔すること然りである。
                   (*・ω)ノβψε★βψε
・・・・・・・・
2006年05月15日(月)
1868, ブログは社会革命ー 2

[5]続きを読む

05月15日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る