ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[396366hit]

■2514, 賢人の知恵 −1
    最近はホボ無くなったが、あれだけは実際に「その感覚」がつかないとわからない。
    だから、興味を持っている人以外に話さないことにしていた。
    生来の盲目の人に、視覚の話をしても理解できないのと同じである。
    といって、極端なスピリチュアル・ブームもおかしなものだ。
    細木数子の批判文の中でも書いたが、物語を人は求めているのである。
    それを安直にイメージ化できるのが、霊とかいうヤツだ。
    まあ、この三人の切口から、その本質を考えてみよう!
    
  ーー
ー島田裕己ーの分析から考えてみよう。
  まず要約すると、
「バブル以降、霊観念の個人化が進展、カウンセラー型の霊能者がはやる」
ということだ。今日現在のブームは、伝統的な霊観念の衰退、希薄化ということと
関係している。前は宜保愛子の先祖の霊が適切に祀られていないと、その祟りで
病や不幸がもたらされると考えられ、それを取り除くには先祖の霊を正しく
供養しなければならないと説かれた。
 ところが、核家族化が進行して、家の解体が指摘される今、家の比重が低くなり、
先祖の霊の祟りはリアリティーが無くなってしまった。
多くの人は家のしがらみに苦しんではいない。少子化で、家の存続も危なくなっている。
そこで今は「個人化」の傾向が強くなり、家の影響は小さくなり、対象が家の霊ではなく、
個人になっている。それは、個人の前世の霊ーすなわち生まれかわりの霊ーに変化したのである。
もし出てきたとしても、それは祖父母など近しい存在に限られるのである。
   −−
   解)まあ、これから考えてみると、これだけいい加減なことはない!
  霊など心の迷いの時に頼る無知な人間の玩具やマジナイと同じ。彼はそういいたいのだろう。
  父が「墓は本家より大きなものにしてはならない!」と言っていたが、
  それも明治生まれの[家]制度を背景に持った論でしかなかった。
  家そのものより、個人化の方が重んじられる現在、あの父の言葉は何だったのか?
  墓は「家の抽象的な心のカタチ」だったのか?人は、心の何処かにそれが必要なのか?
  だから レジャーを兼ねた盆帰りをしてお墓に参るのだろう。
              
                   バイ  (σД≦)ネムゥ〜
・・・・・・・・・
2006年02月21日(火)
1785, 閑話小題

 ースーパーツチダの倒産ー
地元のスーパーマーケットのスーパーツチダが破産・倒産をした。
前の社長が高校の同級生で三年前に癌で亡くなってしまった。
10年以上前から、会社がギリギリということは本人から聞いていた。
逆によく三年も持ったということだ。
    地元ナンバーワンのスーパー原信に圧倒的な商品力の差があった。
    そのため最近では殆んど店には行かなくなっていた。ダイエーが昨秋、
    長岡店を閉鎖した後に今度はツチダの閉店でマスマス町が寂しくなる。
     長岡のスーパーは原信の一人勝ちの様相になってきた。
新潟を本拠に置くスーパーウオロクも、原信との闘いで体力を消耗、
虫の息という噂を聞く。 流通は厳しい時代になってきている。
     最近は、誰も他人事ではない。今度は何処?という感覚が恐ろしい!

ー勇気とは何か ー
  勇気とは怖れを感じないことではなく、恐れることより重要な問題を感じ取ることである。
     恐れの90lが思い過ごしというが、恐れから眼をそむけるのではなく、
     その中心を凝視することで恐れを克服していく姿勢である。
     むしろ恐れが問題の中心点にエネルギーを集めることになる。
     そしてエネルギーを集中することによって、問題に立ち向かうことである。
   積極とは、極めを積み重ねることである。 極めはリスクを伴う。
  そのリスクの上でこそ問題の重要性がみえてくる。
    「正しい目標を欠くと、偽りの目標にはけ口を向ける」というが、
     勇気は正しい目標を持ってこそ、その意味が出てくる。

[5]続きを読む

02月21日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る