ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2469, 四四太郎の霊日記 −17
「自分という世界の構築」という意味で、マイナス面が大きいのではなかろうか。

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第二章 匿名社会のサバイバル術 

梅田:ネットをする人と、パソコンを触ったことのない人もいる。今は間違いなく過渡期です。
 初めて入ったコミュニティーというのが本当にベストであるという、保証は全くないのです。
 その齟齬のようなものが、家族の中にも、学校にも、日本という国にもあり、
 物理的な大きな制約になっている。でもネットでは、自分がいたい場所が選べる。
 人との出会いを含めて可能性がバーンと広がっている。
 学校のクラスの中には自分と合う人はいないけれど、ネットに行くと 母集団が
 50人から500万人に変わって、さらに検索が出来るから、在ったこともないけど
 自分とおなじことを考えているとか、自分にピッタリあった人が見つかっていく。
 これがものすごく大きなことで、それが、ネットへのワクワク感を持った人たちを
 「ネットなしではやっていけない」という感じに させているのだと思います。

    梅田:専門性ということでも、一つの研究所にITのプログラマーが
     500人位在籍していても、ある一人がやっていることは必ずしも、
     その組織では理解されないのです。あまりに専門化しすぎてしまって。
     ところがオープンソースの世界では、ソフトウェアーのコードを
     ネット上に無料で流すと、いきなりロシアとか中国とかシリコンバレー
     からでも、「お前のコードは凄いよ」とか、「同じことを考えていた」
     とか、世界中の不特定多数からのリアクションが届く。
     この感動が核にあるんです。リアル世界では誰もわかってくれないのが、
     ネットにのった瞬間に変わる。オープンソースの原動力って、
     結局そういう個々の承認感動にあると思います。

梅田:ネットの魅力の感じ方は、リアルな空間での自分の恵まれ度に反比例すると思います。
 リアルの世界で認められている人や、いい会社に勤めている人たちに、
 いくら僕がネットがいいよ話してもわかってもらえない。
 リアルで完全に充足しているから、別世界なんて必要としないのです。

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*ピン芸人的ブログ
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平野:ネット社会によって到来した「一億総表現者時代」というのは、
 非常に刺激的なことと思っています。今までは一部作家と出版社だけに
 寡占されてきた「_〆(。。)書く」という表現手段が、一気に、しかもただ同然に、
 誰にも開放されたのですから。その内容といえば二つに分けることができる。
 一つは、有益な情報発信、情報交換の場としてのブログ。
 もう一つは、個人のアイデンティティに関わる、つまり今日何を食べたかというような
 当人以外どうでもいいようなことを、こつこつ記録していくブログ。
 
     最近演芸において、3名をトリオ、2名をコンビ、というのに対し、
     1名でネタを演じる者をピン芸人がブームになっているが、
     あれはブログ的と感じるのです。伝統的な漫才のボケとツッコミは、大体、
     ボケの方が突拍子もないことを言って、ツッコミが「何でやねん?!」
     と常識を代弁してそれを咎める。これは、リアル社会のパロディーですね。
     それに対してピン芸人は「なんでやねん?」と人からツッコマれる場所では
     黙っているけど、でも、心の中では、むしろそうしたリアル社会の「常識」
     の方に「みんなそう言うけど、本当はこう思っているんじゃないの?」と、
     ツッコミを入れる。その意味で逆転している。
 
 ピン芸人は、マスメディアを通して、視聴者の内面の声に語りかけるわけです。
 これは、ネットでブロがーたちがボソボソと不特定多数の人に向けて語っている
 言葉と近いんじゃないのかと思います。ただ、誰に向かって語っているか、
 というのはどちらも明確でなくて、誰か分かる人だけが反応すればいい、

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01月07日(月)
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