ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2347.ベナレス・・・3
夫は6度吐いたが、どこも身体を害することはなかった。
ツヴィッケルベルガーは、年老いた魔女に二グルデンの金をやり、
大工の亭主が刺し殺されたり、河で溺れ死ぬように呪文を唱えさせた。
同じく彼は24年前に、大工の母親とも関係を持ち、淫らな行為に耽った。
またパン屋の三姉妹とも淫らな行為に耽ったことがある。
その他の人妻とも。
その件で彼はお慈悲をもって打ち首に処した上で、火あぶりにした。
感想)
どの時代も、人間の性欲からくる人間ドラマがある。
性欲だけは、コントロールが難しいから、
ドラマと悲劇が起こるのだろう。
*嬰児殺しー
嬰児殺しの内容が、この日記に多いのに驚く。
新生児を母親が手にかける典型的な女性犯罪は、古くて新しい問題である。
フランツ親方の日記にみる動機は、もっぱら婚外婚の結果の清算である。
避妊や堕胎の認められぬ時代、この悲劇に至る過程は無知、貧困、誘惑、
陵辱などさまざまあろうが、社会的に認知されない児を産めば、
大罪とこの上ない不名誉を招くことは自明である。
便つぼ、河川、泉、雪中、長持が棄却場所であり、
また殺害方法も頭を押しつぶす、首筋を締めると、いかにも哀れである。
何時の時代も同じである。
感想)
許されない不倫や、その結果としての嬰児殺しは
いつの世も起こる悲劇である。
それにしても人妻の浮気の多いのは、どの時代でも同じ?
それとも、男の浮気は問題にならないだけか!
助平は生物の存続原因、仕方がないか!
一盗、二卑、三妾、四妓、五妻というから、
スリルとサスペンスがあるのだろう?
(+>∀<+)ノ ホンジャ!
・・・・・・・・
2005年09月06日(火)
1617, 楽しく生きる−2
大不況の中、毎日を楽しく生きることができれば、これにこしたことがない。
図書館で借りた「楽しく生きる」精神科医・高橋和巳著が、
なかなか含蓄のある内容であった。
ー概要をまとめてみた。
(時間をかけて書き写すだけの価値は充分にあった)
ーー
人の欲求が新たな希望へと向かう心の軌道とは?
欲求の生起ー>否定ー>欲求不満ー>
絶望(対象喪失ー>茫然自失ー>否認ー>怒りー>自失−>怒りー>自責)−>
抑うつー>悲しみー>孤独の自覚ー>諦めー>新たな希望の獲得ー
この過程のどこに「私」はいるのか考えてみよう、と提起している。
望みが叶わないといって
絶望や諦めを恐れる必要はない。
人の心は絶望や諦めを超えることで、
孤独の中の本当の自分と出合い、
自分が何を望んでいたのか、
欲求の全体構造を明らかにする。
そして、その先にある新たな希望へと導く。
挫折から、諦め、そして孤独の底から、新しい自分に出合い、
新たな希望を創っていく中から、真の楽しみ方を見出していくのである。
何を考えても埒があかない。どう望んでも解決が見えない。
そんなときには、一度すべての欲求から離れるしかない。
自分の心、身体、他人や環境のあらゆるものから離れて、濁流や、澱みや
流れの全体を見渡せる場所に自分を置く。そこで自分を作り直す。
そこで、もう一人の自分に自分に出会う。
我われがあらゆる欲求から離れることができるとすれば、
それは時間が止まったときだけだ。
時間は二つの場合に止まる。
絶望の中と、満足の中で。
欲と向き合う、そして自分を満たして、自分から離れる
<諦めて得た楽しみ>
追いつめられて見つけたもの、
孤独と正面から向き合って心の安らぎを得ることである。
それは、世間的な色・金・名誉を断念することで初めて可能になった
心の安らぎである。その引き換えに諦めを得たのである。
諦めは怒りへの固執を解く。諦めは生まれてから長く慣れ親しんできた
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09月06日(木)
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