ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2346.エーゲ 永遠回帰の海ー2
2007年09月05日
「エーゲ 永遠回帰の海」 −2
この本を読むまでエーゲ海の周辺に無数の遺跡があることを全く知らなかった。
ギリシャ本土はもとより、エーゲ海に点在する島々に、そして、
対岸のトルコのアナトリア地方に、数知れないほどの遺跡がある。
素晴らしい神殿があっても、その由来が全く解らないために、
神殿A,B,C,Dなど記号で呼ばれているものもある。
序章の中で、シチリアのセリヌンテ神殿群を訪れた時のことを、
以下のように書いている。
「なぜそんなにまでして遺跡を見て歩いたのかと問われると答えるのは簡単でない。
ほんものの遺跡と自分自身で出会った事のない人にその理由を説明するのは、
ほとんど不可能に近い。」
「遺跡=滅びた跡。そこに必ず、繁栄と栄華ののち、
その時代の大戦に敗北して破壊され滅亡した都市の歴史が刻まれてる」
「知識としての歴史はフェイクである。学校の教壇で教えられた歴史。
歴史書の中の歴史。歴史家の説く歴史。記録や資料の中に遺されている歴史。
それらはすべてフェイクである。最も正統な歴史は、記録されざる歴史、
語られざる歴史、後世の人が何も知らない歴史なのではあるまいか。」
「いま自分の前にあるこれらの神殿。これだけの見事な神殿が、
これだけ立派に保存されているのに、この神殿がいかなる神殿であったか、
誰も知らないのだ。記録された歴史などというものは、記録されなかった
現実の総体にくらべたら、宇宙の総体と比較した針先ほどに微小なものだろう。
宇宙の大部分が虚無の中に呑みこまれてあるように、歴史の大部分もまた
虚無の中に呑みこまれてある。」
「時間は一つの方向に不可逆的に流れるものではない。円環をなしているのだ。
時が円環であるなら、初めもなければ終わりもない。
過去は同時に未来で、未来は同時に過去である。
現在は永遠に過ぎ去りゆく一瞬ではなく、永遠そのものである。
現在はすでに過去に無限回くり返されたことがあり、
未来においても無限回くり返される。人はまさにこの現在の一瞬において、
過ぎ去りゆく時を生きているのではなく、永遠を生きている。」
人気(ひとけ)のない海岸にある遺跡で、黙ってしばらく海を眺めていると、
これが永遠なのだということが疑問の余地なく見えてくるような気がするという。
他にも、
シチリアのセリアンテ神殿群、トルコのペルガモンの大劇場、
ディディマのアポロン神殿、エフェソスの大劇場・アルテミス像、
聖山アトス、リキアのサルコファガス、ヒエラポリスのネクロポスなどがある。
・・・・・・・
2006年09月05日(火)
1981, 歩行とダンスー2
「歩行とダンス」というて、テーマで文章を書いて、はや12年も経つ。
12年ぶりに引き継いでの文章化も面白い!と思い立ち書いている。
当時、転勤で大手商社の新潟支店に来ていた大学時代の友人と、
この話を酒のツマミにして酒を飲んだことを思い出す。
その友人が、ダンスをフォーク・ダンスと喩えたのは面白かった。
その後「一人踊りでドアに行くとしたら何だろう?」と誰かにいったら、
「鼻歌を歌いながらスキップすることじゃないか」と答えた。
なるほど、そのとおりである。
この話、よく酒のツマミにするが、けっこう受ける。
「ドアはドアでも、どの部屋のドア?
まさかベッドルームじゃ、話が落ちるか?」と、言った人もいた。
ダンスの相手も色いろ考えられる。「困難」と考えると面白い。
困難を嫌がらず、むしろ踊りの相手として一緒に楽しむ?
まあ、かなり難しいが、それがゲーム化ということになる。
事業の立ち上げも、ダンスの相手と思うとよい。
まあ、人生の全てを賭けてのダンスだから
スリルとサスペンスがあり命がけである。
人生、ストリッパーの裸踊りのようなものと言うと、例えが悪いか?
隠すべきところは隠しておかなくては、色気も面白みも無いところが同じ。
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09月05日(水)
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