ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2027, 「私」のための現代思想  −14
なぜなら、[辛さ]とは<身体>に属する概念ではないからだ。
但し、

[<身体>の消滅]→[痛みから逃れる]
は、可能です。

痛みは身体が発している信号なので、
<身体>が消滅することによって発生しなくなります。

[<私>の消滅]−>[辛さから逃れる]

という図式を考えなくてはなりません。
これが[死ねば楽になる]という表現の意味です。
末期ガンの患者が望むそれ?


   <私>の思考は、すべて「超越確実言明」という基盤を支えとして、
    その上に構築されています。
    そして「超越確実言明の束」とは<私>そのものです。
    それに、論理は自己言及できないということを考え合わせると、
   <私>という基盤の上に構築された論理が、<私>を否定するという構造は、
    矛盾していることになる。そして、その結果として、「<私>の否定」を意味する
   「死ねば楽になる」という考えは誤りであり、成立しないことがわかります。

 −−

  以上だが、死ねば楽になるのは、身体の苦痛とそれに伴う絶望だけ。
 精神の歪みが「死ねば楽になる」と妄想させる。
 それでも、死にたくなるのは解るけど!
 だから、死後に天国のイメージを作りあげたのだろうが・・
 その一つが音楽、そして絵画であろう。
 毎晩、クラシックを聞きながら「ア〜よい一日だった!」
 と思いながら寝入っているが・・・
 それでも夜半にマイナスの気持ちが襲ってくる。
 それが人間じゃない?
 
 死ぬしかない時、「死ねば楽になる」と思えたら実際のところよいが、
 理屈は違うのです・・
              まあまあ!
                Good.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.bye
 
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2005年10月21日(金)
1662, 「人生の実りの言葉」−2
 
ー運命

この章『運命』冒頭の
モンテーニュの「エッセー」の一節がよい。

ー運命はわれわれに幸福も不幸も与えない。
ただその素材と種子を提供するだけだ。
それを、それよりも強いわれわれの心が好きなように変えたり、用いる。
われわれの心がそれを幸福にも不幸にもする唯一の原因であり、支配者なのである。ー

自分の人生で、いつも何時もこの心の葛藤があった。
そして、いつも何事も修行と思えば、気分まで卑屈になることはなかった?
何事も、その対処をするに如何考えるかである。

 高見順がガンによる死の前にこういう詩を作った

    電車の窓の外は
    光にみち
    喜びにみち
    いきいきといきづいている
    この世ともうお別れかと思うと
    見なれた景色が
    急に新鮮に見えてきた

    この世が
    人間も自然も
    幸福にみちみちている
    だのに私は死ななければならぬ
    だのにこの世は実にしあわせそうだ
    それが私の心を悲しませないで
    かえって私の悲しみを慰めてくれる
    私の胸に感動があふれ
    胸がつまって涙が出そうになる
                                
       高見順『詩集 死の淵より』
  ーーー

 死に切迫した人間の、ぎりぎりの葛藤から生まれる孤独の詩である。
誰もが身近な人の死に直面した経験があるはずだ。
しかし自分が直面する場合と、それが最愛の人であっても全く違うのは
両親を見ていてよくわかった。
母親の心のどこかで、「自分でなくてよかった!」という気持ちがみえた。
そのくらい割り切らないと、最愛の伴侶の死を冷静になって見送ることができない。

死が近くなる実感によって、生が凝縮されてくる。
「人間は死を覚悟した瞬間から死ぬまで、それまで生きた全ての人生を生きる」
という。父の死で、それをま近にみた。
死の淵で人間は、過去に生きるしかない。
そして、その全人生を生きるのだ。

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10月21日(土)
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