ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1849, ローマから日本が見える−6
平民であろうが、ローマ市民なら誰でもなれるようにした。
「機会の平等」という他にない。
平民と貴族の結婚さえ合法化されたのである。

     ローマ人は、30年前の紀元前404年にアテネがスパルタに敗れさった事実を
     見ていたからだろう。この事実が、[[近現代史の教訓」として
     強く刻まれていたからである。当時のトップランナーであったアテネが
     民主主義の暴挙を許したがゆえに凋落してしまった姿を見たためだろう。

  ・・・・・

 果てしない戦いの中で『共和制』の体制の基盤を作っていったローマは、
 『機会の平等』という民主主義と自由主義に似た考えに辿りついたのだろう。
 指導者に「ノブレス・オブリージュ」を失えば、その国は滅び去るしかない。
 どこかの国にもいえることだ。いや組織にも!
                      
                         −つづく
            
                ヾ(●・з)ノ" バイバイ〜♪
・・・・・・
・・・・・・

2005年04月26日(火)
1484, 24歳の日記ー2

1970年3月22日
 
朝11時に、実家の店に手伝いに行き、17時まで手伝う。
よく売れるのに驚かされる。

今日、大鵬を見ていておどろいてしまった。
再起不能といわれながら、努力で再起をして優勝をしたのだ。
ただ驚きである。人間の一番美しい姿を見せてもらった。

今日、一年の設計図の大枠を考えるつもりが何も考えられない。
どうしたことか、例の手紙のせいか気持ちが揺らいでいる。

明日は病院に行って、精密検査をしなくては。

    3月23日

午前中は、病院で検査である。
午後は設計図を書いたが、いい加減である。
早々簡単に書けるわけがないが。
焦りだけあって、何もできないのだ。

こういう時間をもらっていながら、何もできないのが情けないが。
といって時間だけは過ぎていく。
一日一日、一歩一歩、歩むしかない。
走ろうとしても無理、歩くしかないのだ。
自分と直面して解るのは自分の甘さと、いい加減さである。


・・・・・・・・
3月30日

今朝、急に父が8時半に居間に集まるように言われた。
両親に、家の裏に住んでいる姉夫婦、兄の三郎、そして私である。
遺言の内容の言い渡しという。

急なことで全員が、吃驚する。
ー内容の概略は以下の通りであるー
・大手通の本店のビルを私、兄、義兄の三人名義にする
・会社の名義も以上の三人の名義とする
・台町の社宅になっている土地と会社名義の資金も三人共有にする
・今後三人には、別個積み立てで毎月20万づつ積み立てる
・今朝白の土地と、父個人の名義の預金は、母のものとする
・父が万一の時は、母が社長となること
・株式は母も加えた4人名義とすること

以上が遺言の骨子であった。

父が、兄と私の立場を心配をして作ってくれたものだ。
特に、一番足がかりのない私を心配したようだ。
早く言えば兄と、私と、姉夫婦に対して三等分にするという宣言であった。
姉夫婦は半分か三分の二と思っていたようだ。

それと「長姉夫婦の派手な生活ぶりに対する父親の怒りがあった」
ようだ。それにしても姉夫婦の華やかな生活振りには驚くが。

姉夫婦は、顔色を変えていたのが解った。
しかし何にも言わせない父の迫力があった。

父親の私に対する心配がこうさせたのだろう。
父親から、多くのものを得なくてはならない。
私もこれから力をつけなくてはならない。
父が元気のうちにである。
ある意味で、私の青春は終わったのだろう。
これからは一個の人間として、自分に真の力をつけなくてはならないのだ。
今日で、青春は終わったのだ。
 −−−
−2005年4月18日記ー

全く書いたことも憶えていない生活信条には驚いた。
これを土台にもっともっと書き直して、常に手帳に書いておけば

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04月26日(水)
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