ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1817, 日暮里界隈 −2
沖縄料理の小さい店であった。

店の名前は『あさと』といって、本人の名字の安里をそのままつけていた。
石垣島出身で、具志堅用高もわざわざ訪ねてきたという。
何とも沖縄料理がおいしい。
豆腐よう、ほしぶどう、ゴーヤーの炒め物、そして泡盛が絶品であった。

そういえばこの数ヶ月、泡盛を晩酌で飲んでいる、
スーパーでブレンドされた泡盛がいやにおいしいのだ。
店の中の全員がお互いの話を旧知のように話し合える感じがよい。
それこそ若い人は皆無という雰囲気がまたよいのだ。

たまたま若い女性が一人入ってきて飲んでいた。
話しかけると「2~3日うちに石垣島に亭主と行く」とのことで、
女将に知り合いの店を紹介してもらっていた。
何か楽しくなって、下の息子を呼びだして一緒に呑むことになった。
本人も目をクリクリさせて、「今時、凄いところがあるものだ!」と驚いていた。

その後にもう一軒谷中銀座の中にある居酒屋にいったが、ここも印象深い店であった。
大きいメンチカツが何とも美味しい!
                 
・・・・・・・
・・・・・・・

2005年03月25日(金)
1452, 「仏教の根底からの否定」の文章−2


ー山根二郎かく語りき−2

ー前回に続いて印象的な部分を書き出してみるー

あのオウムが、教団の対立者を「ポア」という名で殺したが、
これは特殊な教義を信奉していたからと信じられている。
が、しかし「救済」の名の下でなされる殺人の容認は仏教にも多く認められる。


私が書いた「仏教解体」は、仏教を根底から解体しつくした日本では稀有の書である。
そこに述べられている仏教否定思想は、これまでの日本にはなかったものだ。
内容の一部を紹介すると「仏教思想、禅思想」が、どれほど恐るべき
非人間思想であるかということが分ってくる。
日本人は、この思想に取りつかれたままになっている。
要するに、日本および日本人は、戦前・戦中・戦後を通して、今日まで巨大な
オウムをやってきたことになる。


「日本人は恐い」「日本人は特殊である」
 と世界の人々が思ってきた根底は、これである。
「世界の人々よ、気をつけろ。そして日本人よ、仏教から目を覚ませ」

般若心経で、 色即是空ってのがある。
存在とは空だって意味だ。
無限耳鼻舌身意 耳も鼻も舌も体も心もすべて無だと言い切る。
浅原じゃあないが、まさに涅槃の境地に達しないと言えないことだ。
しかし、この凄いことを、我々日本人は日常で坊さんに言われ続けている。
葬式で般若心経を坊さんが唱える。月命日でも坊さんは仏壇の前で唱えてる。


「もともと、無いものが無くなったんだから、死んだからといって、
そんなに嘆くな悲しむな。殺されたからといって、そんなに怒るな」
って言われていることになる。 葬式でこんなこと言われていたのだ。
いま、犯罪被害者の人権などと騒いでいるが、まっさきに糾弾されるのは坊主である。

9・11のあと、追悼集会が開かれたが、仏教界は招かれなかったらしい。
もし坊ずがその会場で般若心経唱えたら大変なことになっただろう。
なんせ「殺されたからって、そんなに怒るな」が基本の教えだから。


キリスト教は「存在は存在している」のが前提。
仏教は「存在は空」なのだから、欧米と日本の文化的な相違は、
イスラム教の比ではないぐらい大きいのだ。
悟りの境地に入らないと理解しがたい哲学である。
オウム真理教のように厳しい修行しないと永遠にわからない世界である。

明治維新政府は、神仏を分離し、日本人を仏教から分離しないと近代化は
無理だと考え、維新後いち早く「神仏分離令」を出し、火葬は仏教のものだから
ということで全国的に火葬禁止令も出している。


火葬はよく考えると、残酷なことだ。
愛する人を焼いて骨だけにしたうえに、その骨を拾わせるのだから。
この風習って仏教の修行からきている。

仏教では「存在は空」「生もなければ死もない」ことを悟るために出家して

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03月25日(土)
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