ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1584, 2005年分路線価が公表
あのワガセンの瞳だけは記憶よりも鮮明に心に焼き付いている。
『あなたに会えて ほんとうによかった
嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない』
小田和正さんの名曲「言葉にできない」。
言葉にしようとしても、それが見つからないというこの歌は、
聴いた人それぞれにそれぞれの思いを抱かせる不思議な力をもった曲だ。
それはおそらく、誰しもがそういう出会いと別れを経験してきたからなのだろう。
その中でも特にもう二度と会えない人との別れには、深い後悔と感謝の気持ちが
入り混じる。
ーー
「息子のためにサインを書いてもらいたい」。
そんなメールをいただいたのはちょうど3カ月前のことだった。
インターネットという顔の見えないところでの話だったので、半分は信用し、
半分は疑いの目を持っていたことは事実だが、とにかく本人に手紙を書かせて
ください、と私は返事をした。
彼は10歳の男の子だった。どこで知ったのかは分からないが、私が子供たちに
将棋を教えているのを知り、とてもうらやましい、自分も教えてもらいたいのだが、
体調があまり良くないので行けない――といったことが綺麗な字で書かれてあった。
少年がくれたクマのぬいぐるみ。
「2つあるので1つあげる」――そんな優しい心の持ち主だった(撮影・高橋和)
「おとうさんから高橋先生もこどものときにこうつうじこで大けがをして
たいへんだったことをききました。
まだいたいですか。いたくならないようにおいのりしています」。
私は10歳の子がこんなに心配してくれるなどとは思ってもみなかったこと
だったので、なんだかとても嬉しい気持ちになり、お礼の手紙と一緒に色紙と
使い古しの扇子を送った。
そして彼からまたそのお礼の手紙が来て、その返事を私が出して……
という具合に手紙をやりとりするようになっていった。
どんなことが好き? 夢はあるの?
手紙の内容はそのようなものだった。しかし彼の手紙は必ず
「せんせいのあしがいたくならないようにおいのりしています」
という言葉で締めくくられていた。
私が“異変”に気付いたのは2カ月ほど経ったころ、彼の手紙の文字を
見た時だった。
今まで上手に書かれていた文字はだんだんと大きくなり、そして少しゆがみ始める。
この時、彼は既に病魔に襲われていた。
震える手を抑え、必死に書いた手紙は、身体中に管を巻きつけられ、痛さに
震えながら書いたもの。後に彼のお父さんからのメールで、
「お医者さんに話をしたら、今の状態で手紙を書くのは奇跡のようなものだ」
と言われたくらいに書くことなど無理な状態でのものだった。
しかし、そのような中でも、
彼は「せんせいのあしがいたくならないようにおいのりしています」と書き続け、
実際に亡くなる前日まで毎日祈りを捧げてくれていたという。
普段私たちが軽く口にする「優しさ」というものがいかに傲慢で、
独りよがりで、優しさでも何でもないことを痛感させられた。
人は人を深く思いやることができることを10歳の少年の方がよく分かっているのだ。
彼はもうこの世にはいない。
しかし、彼の優しさは私の胸の中でいつまでも生き続けることだろう。
ー感想
「死は直視できない太陽のようだ」というが、この子の肉体的苦痛は、
想像を絶したものであることを見つめてやらなくてはならない。
その中で、憧れの先生に対する苦痛に対する祈りは、キリストが十字架で
苦痛の中で死んでいった姿に重なる。
何かにすがりたい、「いつまでも友達でいてほしい」という願いが心の奥に
響いてくる。このような手紙をもらったら、本当に辛いであろう。
人は簡単にすくうことはできない。
神様でないのだから。
そして神は必要なのです。
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2003年08月04日(月)
852, 孤独について −3
『人は人、我は我、されど仲良く』と武者小路実篤がいっていたが、
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08月04日(木)
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