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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■私の音楽履歴っていうか遍歴

★1・私の音楽遍歴


★1・(っていうか、まだくよくよしてます)
昨日、過去の音源のうち、東京の時代の一部のものを除いて20年分にわたるものを
MD1本に編集してみて、
またブルーになってしもうた……(鬱

まあいいや。
こういう「くよくよするオトコモード」っていうのも、なんだか久しぶりだし。

で、なんとなく、私の音楽に関する「履歴」のようなものを
ここに書こうと思う。
いやー、他人から見ればどうでもいいものだということは
重々承知の介なんですけれど。

では、以下のとおり:

幼少時:父・兄・姉の蒐集していたレコード(SPも含みかなり多数)を聞きまくる。
   (レンジがめちゃ広かった! だって、世代がすごく離れてるから、
   明治生まれでなおかつジャズ・ラテン・シャンソン好きの父のセンス、
   賛美歌を台所で歌う母のセンス、
   映画音楽好きの長兄のセンス、
   ジャスト「ビートルズ世代」の姉のセンス、
   みぃんなもらっちゃったもーん!
   (しかも「子守唄がわりのクラシック」まで!)
   但し「演歌」はこの家では流れたためしがなかった……なんでやねん?
   だから、私は生育環境の中に演歌がほとんどないのです(;_;)
   っていうか「洋楽中心」、それも渋めのものばかり(^^;)

1970頃から:(小4?)縦笛大好き♪

   実は、このあたりのことって「変声期」と関係あるのかもしれない。
   私は女性アイドルの歌を歌うのが好きだったけど、
   ふと気が付いたら声変わりしていて、
   女の子の歌をぜんぜん歌えなくなってしまっていたのだった!!
   だから、私の代わりに高い音の出るソプラノ・リコーダー(←小学校で教わるふつうのやつ)に
   歌わせるのだった。

1972:(小6)鼓隊(笛は入ってない;太鼓だけ)に入る。小太鼓担当。
   リズム感養成ぢゃぁ〜!!
   (あと、女の子が中心になってるのも気に入った。
   「私も一緒」って思えたから)

1973:中学入学と同時に吹奏楽部に入部。アルトサックス担当。
   全体練習していて、自分が身も心も「音に囲まれる」のが、物凄く気持ちよかった。
   なんか、音に囲まれてる時だけは「幸せ」だと思えるのだった。

   この頃「文学」にも目覚める。
   かわいい男の子が好きだ、ということを誰にも言えず、
   でも何とかして表現したくて、詩とか戯曲とか小説とかに気持ちをこめるようになった。
   (会津里花・文芸編参照)

1976:高校部進学前に合宿に出られず、親を恨みながら吹奏楽部退部。
   でも、なぜかバリトンサックスで「助っ人」やってた。
   せめてもの「抵抗」だった……(でも「中途半端」だった)

1977:バンド結成。ベース担当。このとき、初めて本物のベースを入手、ハマる。
   (それまではギターの下4弦をオクターブ下げてチューニング、という
   今思うとかなり無謀なことをしてビートルズとポール・モーリア(^^;をコピーしてた)

1979:大学入学と同時に「合唱団いぶき」という「うたごえ」系の合唱団に入団。
   「合唱とバンド」という形態、「青空うたう会」というパフォーマンスに
   とても新鮮なものを感じた。(まさか20年もたってから普及するとは思わなかった)

   毎年各1回、県内のどこかの地域に入って夏合宿〜演奏会開催、それと定期演奏会を開催。
   毎週「うたう会」、時々「団内コンサート」、「集団創作」と、活動内容は豊富。
   担当は、バンドのドラム(初めはベースじゃなかった;ていうか当時ベース担当の先輩、女装趣味?だったらしい;
   なお念のため、この先輩はちゃんと男としての人生を無理なく送っています)

1980:才能を買われ(?)「指揮者」「バンドリーダー(兼ベーシスト)」「市学生うたごえ協議会担当」の3役を
   ダブルどころかトリプルブッキング。「どれを選ぶんだ」とみんなに迫られ、怖かった。

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12月25日(水)
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