ID:51752
原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
[141844hit]
■私の音楽履歴っていうか遍歴
★1・私の音楽遍歴
★1・(っていうか、まだくよくよしてます)
昨日、過去の音源のうち、東京の時代の一部のものを除いて20年分にわたるものを
MD1本に編集してみて、
またブルーになってしもうた……(鬱
まあいいや。
こういう「くよくよするオトコモード」っていうのも、なんだか久しぶりだし。
で、なんとなく、私の音楽に関する「履歴」のようなものを
ここに書こうと思う。
いやー、他人から見ればどうでもいいものだということは
重々承知の介なんですけれど。
では、以下のとおり:
幼少時:父・兄・姉の蒐集していたレコード(SPも含みかなり多数)を聞きまくる。
(レンジがめちゃ広かった! だって、世代がすごく離れてるから、
明治生まれでなおかつジャズ・ラテン・シャンソン好きの父のセンス、
賛美歌を台所で歌う母のセンス、
映画音楽好きの長兄のセンス、
ジャスト「ビートルズ世代」の姉のセンス、
みぃんなもらっちゃったもーん!
(しかも「子守唄がわりのクラシック」まで!)
但し「演歌」はこの家では流れたためしがなかった……なんでやねん?
だから、私は生育環境の中に演歌がほとんどないのです(;_;)
っていうか「洋楽中心」、それも渋めのものばかり(^^;)
1970頃から:(小4?)縦笛大好き♪
実は、このあたりのことって「変声期」と関係あるのかもしれない。
私は女性アイドルの歌を歌うのが好きだったけど、
ふと気が付いたら声変わりしていて、
女の子の歌をぜんぜん歌えなくなってしまっていたのだった!!
だから、私の代わりに高い音の出るソプラノ・リコーダー(←小学校で教わるふつうのやつ)に
歌わせるのだった。
1972:(小6)鼓隊(笛は入ってない;太鼓だけ)に入る。小太鼓担当。
リズム感養成ぢゃぁ〜!!
(あと、女の子が中心になってるのも気に入った。
「私も一緒」って思えたから)
1973:中学入学と同時に吹奏楽部に入部。アルトサックス担当。
全体練習していて、自分が身も心も「音に囲まれる」のが、物凄く気持ちよかった。
なんか、音に囲まれてる時だけは「幸せ」だと思えるのだった。
この頃「文学」にも目覚める。
かわいい男の子が好きだ、ということを誰にも言えず、
でも何とかして表現したくて、詩とか戯曲とか小説とかに気持ちをこめるようになった。
(会津里花・文芸編参照)
1976:高校部進学前に合宿に出られず、親を恨みながら吹奏楽部退部。
でも、なぜかバリトンサックスで「助っ人」やってた。
せめてもの「抵抗」だった……(でも「中途半端」だった)
1977:バンド結成。ベース担当。このとき、初めて本物のベースを入手、ハマる。
(それまではギターの下4弦をオクターブ下げてチューニング、という
今思うとかなり無謀なことをしてビートルズとポール・モーリア(^^;をコピーしてた)
1979:大学入学と同時に「合唱団いぶき」という「うたごえ」系の合唱団に入団。
「合唱とバンド」という形態、「青空うたう会」というパフォーマンスに
とても新鮮なものを感じた。(まさか20年もたってから普及するとは思わなかった)
毎年各1回、県内のどこかの地域に入って夏合宿〜演奏会開催、それと定期演奏会を開催。
毎週「うたう会」、時々「団内コンサート」、「集団創作」と、活動内容は豊富。
担当は、バンドのドラム(初めはベースじゃなかった;ていうか当時ベース担当の先輩、女装趣味?だったらしい;
なお念のため、この先輩はちゃんと男としての人生を無理なく送っています)
1980:才能を買われ(?)「指揮者」「バンドリーダー(兼ベーシスト)」「市学生うたごえ協議会担当」の3役を
ダブルどころかトリプルブッキング。「どれを選ぶんだ」とみんなに迫られ、怖かった。
[5]続きを読む
12月25日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る