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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■私の音楽履歴っていうか遍歴
   (ていうか、自分でそのくらい調整しろよ、と今は思う;結果は↑の色のとおり「バンドリーダー」に)

1982:隣りの市(来年4月に消滅予定)を中心に活動するバンド「Love Cats」に加入。
   なんと、サックス(アルト、テナー)担当。実はベースの座を虎視眈々と狙っていたが、
   そのベーシストに誘われて入ったのでそんなことはおくびにも出せなかった。
   ライブ活動、多数。
   中でも「船上ライブ」は面白かった。清水港から大島〜新島を通って式根島まで行く予定が、
   海が荒れて新島までしか行けず。ドラムの人がシンバル一式忘れてきたり、とか
   なんかわけのわからないエピソードもあったけど、楽しかった。
   テレビ出演もした(もちろん地元民放よ(^^;)

1983:合唱団いぶき「'79(年度入学生)卒団コンサート」開催。
   前年に参加した「Love Cats」に夢中で、82年中は「いぶき」は疎かにしていたのだった。
   (実はもう一つ理由があった;学部に移行して入った「経済法ゼミ」のテーマが「清水市」だったので
   バンド活動と微妙にリンクして、それも楽しかったため、すっかり夢中になっていたのだった)

1984:大学卒業後、東京へ行って「センター・レコーディング・スクール」入学。
   これはレコーディング・エンジニアになるための専門学校。
   (ただし1年制で学校法人じゃなかった。それでも就職率はバツグンで、
   卒業してからその方面に就職できなかったのは私1人だったらしい(鬱)

1985:中央合唱団第118期研究生に入門。
   ここもうたごえ系(だから入った)で、うたう会、コンサートなど、活動豊富。
   もちろん政治絡みで、音楽的な力量にはやや疎いところも。

1986:研究生終了後、なぜか合唱団員にはならず、東京都小平市中心に活動する
   「ハミング・チューチュー」といううたごえサークルに参加。
   理由は、「ここなら『うたごえ+バンド』ができる」と思ったから。
   うたう会、コンサートなど活動多数。
   政治絡みでも質の良い音楽が作れる、という感覚も、ほんの少しだけど得ることができた。

1987:「ハミング・チューチュー」内部のアンサンブルユニット「回転木馬」に参加。
   どちらかといえばフォーク系。
   目指すものが高い割に音楽的力量が低いのが辛かった……
   上手な人もいたけれど、下手な人を「排除」することができなかった。
   「排除」していいのか悪いか、今でもわからないけれど、
   「下手でも一生懸命やってればいいじゃん」というのが嫌だった。
   それは自分たちが言う言葉じゃなく、人に言われて初めて許せる言葉なのだ。

1988:確かこの頃に「ハミング・チューチュー」脱退。ていうか行けなくなっちゃった。
   (女絡み)←今思うと、はっきり言って「バカ」としか思えない。
   (お付き合いした人たちには申し訳ないです……だってその人たちのせいじゃないもん)
   で、恨みがましく「人間性悪説」とか書いてた。

1989:完全な抑鬱状態で帰郷。
   実言うと、半年くらいぼけーっとしていたかったんだけれど、
   (それこそ「どっかの劇団に入って女役をやってみたい」とか思っていた)
   「結婚のために退職」したんだから「専業主婦」になれると思ったらそんなことはなくて、
   あくまで(相手の家に入るのであっても)「主な収入源は夫が稼ぐ」というのが常識(?)だったらしく、
   元パの強い圧力で「まともな会社に就職」しちゃったので、音楽活動する余裕なし。
   (たぶん、このあたりから人格のゆがみが修復できないほどに大きくなっていったんだと思う)
   何一つ考える余裕なし。
   (↑ていうか、書いてる私は意味わかって書いてるつもりだけど、
   読んでる人、意味わかります?)

1990:それでもしつこく音楽活動再開。
   確か、宇崎竜童が作った清水みなとまつりのテーマソング「カッポレファンク」を

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12月25日(水)
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