ID:41506
江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■なんと、首都東京に姥捨山出現!
 国立社会保障・人口問題研究所が2006年末にまとめた推計によると、2005年と比べた2035年の老年人口(65歳以上)の増加率は、東京、埼玉、神奈川、千葉の4都県とも60%を超えている。一定程度の高齢化を経た秋田や山形、島根、高知の各県の増加率が1けた台にとどまっているのに対し、首都圏の高齢化はこれから速まる。団塊の世代や若年層が多く住んでいることが原因で、高齢化問題の深刻化が懸念されている。

 3世代同居の家で暮らしてるオレとしては大家族が当たり前だと思ってるのだが、今後の日本は一世帯あたりの人口がどんどん減っていって、いずれは半数以上が単身世帯になるという予測もされている。こんなことになってしまったのは、人々が「帰るべき田舎」を失ってしまったからではないのか。そんな気がするのだ。家に祖父母が同居しているなら若夫婦は子育てを手伝ってもらって共働きすることができる。また、家族の中で長男は実家に残って家業を継いだり、田畑を引き継いで、次男や三男は街に働きに出て、もしも街で何か人生につまづいても、帰るべき田舎があるからそこに戻ってまた一から出直せる、そんな仕組みがかつての日本には存在したのではないか。つまり大家族制は福祉や育児の問題を解決する一つのうまく機能したシステムだったのではないかと。

 ところが家族の単位が小さくなってしまったために、子どもを保育所に預けて働かないといけなくなるのである。それどころか今は離婚がものすごく増えている。母子家庭や父子家庭がどんどん増えてしまっているのだ。今の日本は加速度的に一世帯の少人数化が進んでいると言える。この流れはもう変えられないのだろうか。

 オレはこの老人ばかりになってしまった団地を、逆に老人たちが仲良く共同生活を送る老人パラダイスに造り替えることは不可能なんだろうかと考える。つまり、1DKの個室を集めて大部屋にしてしまって、そこに疑似大家族というか集団生活のコミュニティを作ってしまうという方法である。

 それにしてもオレが不思議に思うのは。一人暮らしの老人が生活保護を受けたりしてる時にその息子や娘が「私には関係ありませんし、養う余裕もありません」という形で親を見捨ててるという実態が多く見られることなのだ。そこまで親子関係が希薄になってしまい、どんな生活をしていようが関係ないという状況はオレには想像もつかない。なんでこんなにみんな冷たくなってしまったんだ。自分の親じゃないか。

 結婚した当初、なかなか子供を作らなかったオレに対して父親は言った。「早く孫を作れ。家に帰ってきても何の楽しみもない!」もちろん親を満足させるために子を作るようなものではないのだが、もう老い先短い老人としては、孫の成長を眺めるというのが大きな楽しみであることは間違いない。その楽しみをなかなか与えてくれない息子に対して、父親が「早くしろ」とせかしたのもわかるような気がする。

 都心の姥捨山に住むお年寄りたちにもちゃんと子や孫が居るだろう。そうして自分の老いた親族を都心の姥捨山に置き去りにしてることに対して、いったいどんな気持ちで居るのだろうか。

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09月08日(月)
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