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ママ子のひとりごと
by ママ子
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■そして私はレースを編むのよ
急にレースが編みたくなって 困った!!

別にレースのコースターや花瓶敷きが欲しいというわけじゃない

このご時世では100均へいけば適当なレースが手にはいるわけで

でもでも いま無性にレースが編みた〜い 



ハアハアハアハアっ  ←怪しい息づかいをするほど (笑)



この発作のような症状(状況とも言う)は やはり・・・病気?





前回 無性に編みたくなってとうとう手を出したのは確か平成6年だった

父が入院して もういつ死んでもおかしくない そんな時だった

連日の病院への泊まり込みと仕事で自分の布団でなんかまともに寝たことがなかった3ヶ月

あの時 最後の1ヶ月を明け方まで過ごす為に無心にレースを編んだ

ドイリーなんかではまどろっこしくて 女の子用のエプロンドレスを編んでみたり

レース編みのそれはちょっと珍しくって看護士さんや患者さんまで入れ替わり立ち替わり

進み具合を見にきてたっけ (完成後は友人の子にあげちゃった)

続けてモチーフ繋ぎの自分用のカーディガン(この時は20代だったし←おいっ)

半分ぐらい編んだところで父が亡くなってしまい レース編みはそれっきり



その前は子供達が幼児と言えるような頃だった

夫は帰ってこないし(月の半分は出張) 3人のクソガキ共は毎日ギャーギャーわめくし

どの子か一人ぐらい首を絞めなかったのが不思議なくらいの時

あっちょっとは締めたかも (笑)



バキッ!!( -_-)=○()゜O゜)アウッ!



やっぱり夜も寝ないで編み耽っていた





その前は19歳の頃 いや殆ど精神的に死んでたような頃



そして一番最初にレース編みをしたのは16歳 高校1年生の時

これは夏休みの宿題が細い糸で200g編んでこいというものでした

レース200gと言ったら それゃでっけぇ大作で テーブルクロスくらいの大きさなんです

それをたった25日間で編まなきゃならない

もちろん寝る暇なんかありませんでした 夏休み最後の日はね



ちなみに その後冬休み前までレースを編んでました

ええ 休み中だけで200gなんて編めるわけありませんって (T▽T)



レースを編むために高校に入ったんじゃない!!

私の青春を返して!!



そう何度も心の中で叫び セッセッとかぎ針を動かしたものです



とても・・・ とても辛いレース編みでした (T▽T)





もしも〜私が〜  家〜を建てたなら 小さな家を 建てたでしょう

大きな窓と小さなドアーと 部屋には古い暖炉があるのよ

真赤なバラと白いパンジー 小犬のよこにはあなたあなた

あなたがいてほしい それが私の夢だったのよ

いとしいあなたは今どこに 



ブルーのじゅうたん敷きつめて 楽しく笑って暮らすのよ

家の外では坊やが遊び 坊やの横にはあなたあなた

あなたがいて欲しい それが二人の望みだったのよ

いとしいあなたは今どこに



そして私はレースを編むのよ

わたしの横には わたしの横には

あなた あなた あなたが居てほしい

そして私はレースを編むのよ

わたしの横には わたしの横には

あなた あなた あなたが居てほしい







この詩をメロディ付きで読んでしまった あなたー!

同じ時代を生きてきたのね σ(^◇^;)



当時小坂明子は確か18歳だったはず

歌詞を読めば一目瞭然 乙女チックな夢のようなお話だ

結婚とは 子育てとは お姑とは 夫の浮気とは 老人介護とは

何よりも住宅のローン地獄のなんたるかも 何一つ分かってない時の理想の世界だ

しかしだ このような理想世界を生み出した元は何か?


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03月09日(木)
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