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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■「只要妳和我」の頃
歌手時代の話です。
以前紹介した文章にもあった通り、
陳昇というプロデューサーを得た金城武のデビューアルバムは、
台湾語の歌や、武自身の自作曲を含む、意欲的なものでした。
しかし、2作目「只要妳和我」には日本のヒット曲のカバーが収録され、
続いて「温柔超人」と、アイドル路線に傾いていきます。
その頃の雑誌記事から(ただし出典不詳)、
陳昇によって歌の面白さに目覚め、
歌手としてがんばっていた彼の姿がかいま見えます。
中に出てくるBEYOND(ビヨンド)は、香港のグループ。
彼らと交友を結んでいたことも、以前ご紹介した中にありました。
検索をかけてみてください。
*********
金城武歌う「只要妳和我」は日本のグループ、米米クラブの作品の編曲である。
ということは、陳昇(ボビー・チェン)と彼が強調してきた、
オリジナル曲、カバーはやらないという方針を、自ら破るものではないのだろうか?
「これはレコード会社と年代の要求なんです。
ボビーとぼくは当然、絶対やりたくありませんでした。
ボビーのアーティストかたぎからしたら、これは余計に受け入れられないことだったし。
それで、ぼくらは最後に、こうすればいいんじゃないかと思いついたんです。
つまり、この歌を普通のデモテープにしちゃうってこと。
そして、非の打ちどころのない編曲と演奏で、必ず原曲を越えようと決めたんですよ。
その結果、ファンの熱烈な反響を得て、成功することができました」
金城武と陳昇は、「好朋友」という歌を共作している。
これは、初めは恋の歌だったという。
ところが陳昇が、友情賛歌に変えてしまった。
「ぼくはボビーに対し、ほとんど頭に来てたんですよ。
ぼくが香港で映画の撮影に行っているすきに、
何にも言わずに歌詞を変えてしまったって。
レコーディングのときになって初めて知って、彼に強く言いましたよ。
「ぼくの作品は使うのやめましょう。
なんで歌詞をまったく別物に変えちゃったんですか」って。
ボビーはそれを聞いてひどく腹を立て、どなりました。
「この歌は、俺と、黄連と君とで一緒に創り上げたものだ。
こんなことはこれまでになかった。
もしかしたら、これが最初で最後かも知れない。
どうして君はこんなチャンスをないがしろにしようとするんだ」
その後、家に持ち帰ってじっくり聞いてみて、
ボビーの歌詞にすごく心を打たれました。
彼のことを悪くとって、ほんとにすまなかったと思ってます」
実は、金城武は陳昇を「好朋友(親友)」だと思っている。
「ボビーはぼくに作曲と作詞というものを教えてくれたし、
世の中の見方まで教えてくれた。
彼はぼくが地道に歩んで、優れたシンガーソングライターになり、
独自の風格を作り上げることを望んでくれています」
金城武にとって、親友の定義とは何か?
「親友のためなら、どんなことでも進んでやる」
金城武にとって友情は一番大切なものだ。
友のためなら、艱難辛苦も辞さない。
親友の家駒(BEYONDの中心的メンバー。日本のテレビでの仕事中に事故死)が
「突然行ってしまった」ことに触れて、
金城武は「最近では、最大のショックだった」と言う。
「家駒の死を、ぼくは今でも信じられないし、受け入れることができないんです。
数ヶ月前、日本で彼と一緒に福山雅治のコンサートを楽しんで、
おしゃべりしたのをまだ覚えてますよ。
彼のファンが理性を失わないか、すごく心配です。
ファンクラブは残されたメンバーをこれからも支え続けてほしい。
彼らは香港で真に一級のバンドです。
音楽はものすごく引き込む力があるし、歌詞は内容がある……」
彼は暗い顔で言った。
「素晴らしかった家駒の姿は、いつまでもぼくの中に刻み込んでおきます」
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BBS 23:45
01月05日(月)
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