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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■多くの回復を作り出すことの意味
最近は日々雑記の更新も間遠くなり、「ブログをやっているひいらぎさん」ではなく「ブログをやっていたひいらぎさん」と呼ばれるようになりました。
僕が東京の依存症回復施設で働くようになったのをご存じの方も多いと思います。「二つの帽子をかぶり分ける」(※)ために、施設のことを取り上げるのは避けますが、支援の仕事は生産性が悪いということをつくづく感じています。平たく言うと、忙しいわりに利益が少ない業種だということですね。雑記の更新頻度が極端に落ちたのは、仕事とAAで時間とエネルギーを使い果たしているからです。それでもこうして雑記を書こうと思ったのはなぜか。
(※ プロとしてアルコホリズムに関わっていたとしても、AAメンバーとしての活動はあくまで非職業的なものであることを明確にすること)
それは、長野でサラリーマンとして働きながらAAメンバーをやっていた頃と、現在では、地理的な位置、社会的な立場、職業的な違いがあるので、新しい視点から依存症を見ることになった。それについてネットでも発信してみようと考えました。
とはいえ、変わらないこともあります。僕は相変わらず週に一回AAの会場を開け、10人あまりの参加者と一緒にミーティングをやり、その他に週に二晩ぐらいスポンシーとビッグブックの読み合わせをしたり、棚卸しを聞いたりしています。そして時々日曜日にはイベントにでかけている。そんな日々のなかで考えたことです。本題に入りましょう。
元コメディアンの田代まさし、元プロ野球選手の清原和博、この二人が薬物問題を抱えていることは多くの人が知っているでしょう。田代氏は薬物依存であることを公けにして施設のスタッフとして活動されている。清原氏は自らを薬物依存とは公けにはしていないようですが、伝えられている情報を総合すれば依存症である可能性は高い。僕は同じ依存症者として、お二人の回復が順調に続くように願っています。
田代氏の講演を何度か聴かせていただきましたが、人を笑わせて和やかにする才能には感心します。それは彼が前半生で努力して身につけたものなのでしょう。さて、例えば将来、彼がテレビのバラエティ番組にタレントとして出演する可能性はあるでしょうか(氏自身がそれを望むかどうか別として)。あるいは、清原氏は野球選手としてあれだけの実績を残した人ですから、将来どこかのプロ野球球団でコーチや監督を務めることはあり得るでしょうか。今の日本社会ではどちらの可能性もゼロに等しい。せっかくの才能が無駄になるのは残念なことです。
「心の家路」のサイトを始めた頃、「依存症」をキーワードとしてニュースを検索し、一覧表示するページを作りました。するとアメリカの有名人が自らの依存症を公けにして治療に励むという記事がたくさん表示されました。AAの英語版月刊誌にはAA以外のことを取り上げた記事も毎月載りますが、数年前の記事に政府機関が行った一般の人へのアンケート結果が掲載されていました。そのなかに「アルコールや薬物の依存から回復中の人と友だちになれるか?」という項目があり、実に7割以上の人が「友だちになっても良い」と答えていました。
アメリカにおいては依存症であることを隠すより、むしろ明らかにして治療に取り組む姿勢を示した方がメリットがある。さらに、病気が克服できれば仕事を続けていける。そういったことを許容する社会になっていることがうかがわれます。日米のこの違いはなんとしたことか。それは依存症という病気に対する認識の違い、偏見の有無でしょう。
アメリカは、(依存症に限らず)人生に降りかかった何らかの困難を克服したストーリーが美談として賞賛される傾向はあると思います。ベストセラーのランキングにはそんな自伝がよく混じっています。対するに日本は、輝く者が地に落ちれば、それを皆で叩く、という世の中になっている気がします(しかもその傾向が強まっているんじゃないかと)。そんな国柄の違いを踏まえても、社会の病気に対する理解度の違いが大きいことは明瞭です。
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02月26日(日)
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