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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■書評:ギャンブル依存との向きあい方(その2)
書籍『ギャンブル依存との向きあい方』の評の後半です。

さて、話をギャンブルに戻します。

ギャンブル依存の人が「借金を返すためにギャンブルをしている」と考えるのは自己欺瞞です。ギャンブルで借金を返そうというのは、まったく合理性を欠いた考えです。また、借金が整理されて返済の必要がなくなっても、彼らは再びギャンブルに手を出し、また大きな借金を抱えます。

こうしてみると、対象をアルコールからギャンブルに変えただけで、同じ依存症のように見えます。確かに強迫的ギャンブラーの一部が(アルコール・薬物と同様の)アディクションであることは間違いないでしょう。

しかし、同じだとすれば、再びほどほどにギャンブルが楽しめるようにはならないはずですが、ギャンブルについてはそうなったという例もあります(自然治癒例)。また、金銭問題がギャンブル依存の結果だというのなら、ギャンブルをやめたら金銭問題が無くなるはずです。ところが、やめた後も金の管理ができず、お金を使いすぎて困ってしまう人がいます。こういう人は実はギャンブルにはまる前から、金銭管理の問題を抱えていたことが分かります。

依存症以外のタイプの人が混じってきている、それは間違いないことだと思われます。昔はアルコール依存症が病気だとは思われていませんでした。酒をやめられないのは、不道徳で意志の弱い、罪深い人間だとされてきました。様々な人の努力の結果、慢性アルコール中毒(後のアルコール依存症)は病気だということが、ようやく世間に認知されてきました。それは大変良いことでしたが、弊害もありました。

操作的な診断基準に従って、酒を飲んでトラブルを起こしていれば、誰でも彼でもアルコール依存症という病名がつけられ、専門の医療機関や施設やAAに紹介されてくるようになりました。それによって多くの人たちが助かりましたが、一方で、本当は依存症とは違う原因なのに、依存症のケアで混乱し、何年もの時間を無駄にしている人も少なくありません。問題が違えば、違った解決策が必要なはずです。

それなのに、大酒を飲んでいれば、それだけで依存症だと決めつけてしまい、病院に入れた後はAAミーティングに通わせるだけで、あとは良くなるもならないも本人の「やる気」次第・・・という過剰に単純化した援助がまかり通るようになってしまいました。この現状を嘆かずして、他に何を嘆けというのでしょう。

ただ幸いなことに、アルコールの場合にはそうしたミスマッチは少数派です。ところがギャンブルの分野では、このミスマッチが日常茶飯事で起きている、ということが、この本から見えてきます。

例えばこんな例はどうでしょう。ギャンブル依存とされたAさんは、子供の頃から自分で決めることが難しく、進学先も、就職先も家族(この場合は母親)が決めてきました。やがてギャンブルの問題を起こすようになり、GAというグループを探してきたのもお母さん(あるいは奥さん)でした。本人のお金の管理をさせると危ないので、家族が代わりに金銭管理をしています。ところが、いくらGAに通っても、なかなかしっかりとギャンブルがやめられず、時々細かな再発を繰り返します。

そこで家族がほうぼうに相談したところ、あるところから「手を離しなさい」「手助けをやめなさい」というアドバイスをもらうことになります。これはデタッチメントという手法で、周囲が本人に代わって問題を解決するのをやめることで、本人が問題に直面し(直面化)、底つきを経て回復へ向かう、というモデルを当てはめようとしています。このやり方が功を奏する場合もありますが、そうならないことも多いのです。

結果がどうなるか。たいてい、もっと悪化し、ギャンブルと借金の問題は深刻化します。おそらくこのタイプの人(Aさん)には、ギャンブル依存症とは違ったタイプの問題を抱えています。GAに通うことや、デタッチメント型のアプローチが効果をもたらさないのは、「アディクションとは違う問題が原因だから」という視点を持てれば、やり方を変えることができます。しかし融通の利かない支援者は、より苛烈なアドバイスを送り(例えば「家から叩き出せ」とか)問題をよりこじらせてしまうこともあります。


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01月10日(木)
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