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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■信じることについて
クリスマスですから、何かそれっぽい話を書いた方が良いのでしょうか。
ウィリアム・L・ホワイト先生は、アディクションからの回復を担っているグループを3つに分類しました。
ひとつは宗教的なグループです。例えば Alcoholics Victorious(AV)はクリスチャン向けのグループです。またイスラム教徒向けのグループもあるそうです。こうしたグループへの参加は、その宗教の信徒であることが前提です。
一方、神概念を廃した世俗系のグループもあります。SMART RecoverやSecular Organizations for Sobriety(SOS)がここに入ります。日本の断酒会もここに入るのでしょう。
そして、この両者の中間に霊的(スピリチュアル)なグループが存在します。特定の宗教には属さないものの、神概念を使っているグループです。AAを始めとした12ステップグループがここに分類されます。
AAとか12ステップというのは、宗教と世俗の間に位置しているわけです。AAの歴史を振り返ると、両者の間でどちらか一方に傾きすぎないよう、微妙なバランスを保とうと腐心している様子がうかがえます。AAが宗教になってしまったらそれはもうAAではないし、また逆に神という概念を捨ててしまったら、それもAAではないのでしょう。
さて、12のステップ では、その2番目のステップで「信じる」という言葉が出てきます。その次のステップ3では「神」という言葉が出てきます。12のステップは、AAに来た人や、AAに関心を持った多くの人の目に触れます。なのでこれを見た人が「宗教にそれぞれ神があるように、AAにも神があって、それを信じろと言っているのか」と解釈してしまうのも無理もないことです。しかしそれは早合点というものです。
ステップ3に、単に神と書かれているのではなく「自分なりに理解した神」と書かれていることに注目してください。この「自分なりに理解した」というのは大事なことなので、常に太字あるいはイタリックで強調されて表示されます。
原文 God as we understood Him は「自分なりに理解した神」と訳されていますが、その真意は「自分が理解できる神」です。
多くの人が宗教に拒絶感を持つのは、自分が理解できない神を信じなければならないと感じるからです。宗教は言います「私たちのこの神をあなたも信じなさい」と。それが信じられる人は幸いですが、それができない人は立ち止まるしかありません。そして、自分には神を信じることはできない、と思い込んでしまいます。
実際には人にはそれぞれ信じることができる(理解できる)神さまがいるものです。自分はどんな神さまなら理解することができる(信じることができる)のか、自分に問いかけることが大事です。
ここで難儀する人には、僕はこう問いかけます。「あなたに金を与えてくれる神さまがいたら、信じてみたいと思いますか?」「カレシ(カノジョ)を与えてくれる神さまがいたら、あるいは地位や名声を与えてくれる神さまだったらどうでしょう?」。そのように、自分の欲望を都合良くかなえてくれる神さまだったら、信じられるのじゃないでしょうか。それが、「今のあなた」が理解できる神なのです。
もちろん、それに対して、神さまに自分の都合の良いことばっかり望むものじゃないよ、とたしなめる人もいるでしょう。そのことは、もっと理解が進んでから分かることで、ごく限られた理解しかできない状態にあっては雑音でしかありません。
ビッグブックは「ほかの人が信じる神のことは考えなくてよい」と言っています(p.67)。また、自分の神の概念は「あまり適当でなくても、自分なりの考え」で良いと言っています。「出発に必要なのはそれだけ」です。
「そうして時間がたてば、とうてい手の届かないものにしか思えなかった多くのことが、受け入れられるようになった自分に気づくようになる。それが成長なのだが、成長するには、どこかで始めなければならなかった。だから私たちは、自分なりの神への理解から始めた。たとえそれはせまく、かぎられた理解だったとしても」
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12月25日(火)
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