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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■ステップQ&A: 全部 vs. 基本的に
重箱の隅を突くような話ですが、テクニカルな話は意外と人気があるので書いてみます。
ビッグブックの90ページに、こんな文章があります。ステップ3のところです。
「私たちの問題は実は全部自分で招いた結果なのである。私たちが自分で問題を起こしたのだ」
私たちは何かトラブルが起こると、相手が悪いとばかり思ってきたが、そうではない自分が悪いのだよ・・と言っているわけです。それも「全部」。何もかも、自分が悪いというのであります。
さらには、ステップ4のところで(p.98)、人のことはさておき、自分の過ちだけを見つめるとあります。「何もかもが自分だけのせいでそうなったのではないにしても、他人をまったく抜きにして考えてみる」とあります。
「全部自分が悪いのだ」と言われると、人は反発するもののようで、「いや、自分にまったく落ち度がない場合だってあるだろう」という議論になったりします。
この「全部自分で招いた結果」という部分の原文は basically of our own making です。ベーシカリィは「基本的に」だから、例外的なことだってあり得るわけで、「全部自分で招いた」というのは誤訳であると主張する人もいます。
今年の3月にジョー・マキューの弟子にして後継者のラリー氏が来たときに、この疑問をぶつけた人がいました。ラリーさんの答えは「<全部>という翻訳で正しいだろう」というものでした。
そう、全部なのです。字義的な意味では正確ではないかもしれませんが、ビッグブックの著者らの言いたいことを正確に捉えた翻訳になっていると思います。
でも、納得できないという人もいるでしょうから、すこし説明を加えてみます。
こういう話は極端な例を挙げた方が分かりやすいので、棚卸し表を書いているアルコホーリックが、子供の頃に大人から虐待を受けたり、性被害を被ったというケースを扱うとします。こういう場合に子供の側が悪かったということはあり得ません。なぜなら、子供の安全を確保するのは大人の責任だからです。
ほら、被害を受けた側は悪くないじゃないか。例外だ!
けれど、12ステップの棚卸しで扱うのは「恨み」という事柄です。ここで、恨みの性質についての話をしなければなりません。これはほぼジョー・アンド・チャーリーからの受け売りですが。
日常生活の中で「怒り」を感じることがあるでしょう。腹をたてて当然のことがあります。これはアルコホーリクであろうが、普通の人であろうが変わりありません。けれど、普通の人は、その時は腹を立てても、いつまでもそれに囚われておらずに、自分のいつもどおりの穏やかな生活に戻っていきます。
けれどアルコホーリクは違います。その時だけでなく、もっと後になってからでも、原因を作った相手のことを思い出すたびに、怒りの感情が再燃します。頭の中では、怒りを感じた場面を再現されています。それはまるでテレビのスポーツ番組で、リプレイのビデオが何度も繰り返されるようです。ビデオと違うのは、思い出すたびに、自分に都合が良く、相手を悪者にするように改変されていくことです。
せっかく良い気分で過ごしている時でも、恨んでいる相手が部屋に入ってきたり、原因となったことを思い出しただけで、私たちは腹立たしい気分を再現してしまいます。その気分は私たちの行動を支配します。つまり、私たちは恨むことで、相手に支配されてしまうのです。自由に生きたければ、恨みを手放すしかありません。
このように、何かが起きたときの怒りの感情と、あとになって繰り返し再現される恨みの感情を、分けて考える必要があります。
何かが起きたとき、自分にはまったく落ち度がない場合もあります。けれど、後になって何度も恨みを再現しているのは自分自身であり、もうその時は相手は関係ありません。相手の問題ではなく自分の問題になっているのですから、相手のことはさておき、自分の過ちだけを見つめることが出来ます。
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08月05日(日)
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