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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■AAミーティングはナラティブセラピーなのか?
ナラティブセラピーとは、自分自身の物語を語り直すことによる治療法とでも言いましょうか。先ほどちょっとググってみたら、主にトラウマ治療の現場で使われているようでした。

ナラティブという言葉は聴きなれないかもしれません。ナレーション(語ること)という言葉がありますが、ナラティブとは物語を語ることです。

ナラティブセラピーと社会構造主義は密接な関係にあります。社会構造主義とは社会学の言葉で、現実やその意味は、すべて人の頭の中で作られたものであり、意識を離れては存在しないという考え方です。

客観的事実がどうかではなく、それを体験した自分が経験をどう解釈するか。その解釈こそが現実であり真実であるということです。だとすれば、過去の体験の解釈を自分が変更すれば、体験の真実もその意味も変わってくるはずです。

精神的にお加減の悪い人はだいたいが過去の出来事に圧倒されており、その支配から脱することができない無力感を持っています。それはつまり「体験の解釈を変えることができずにいる」と言い換えられます。そこで、自分が生きてきた物語を語ることを試みます。それは最初は辛いことかもしれません(不都合な真実だから)。しかし何度も語りなおすことにより、今までの自分の解釈とは違った解釈が成り立ってきます。そうしれば自分にとっての過去の体験の意味も変わってきます。

ナラティブセラピーでは治療者と被治療者の間に上下関係はありません。社会構造主義の立場からすれば、「正しい解釈」も「間違った解釈」も存在しないわけですから、治療者が望ましい方向に導くというわけにはいきません。治療者と被治療者は平等な立場で新しい物語を作っていくことになります。「答えはその人が知っている」とか「あなたが問題なのじゃない、問題が問題なのだ」みたいなキーワードが散りばめられるのがナラティブセラピーの特徴です。

12ステップでは表を使って、その人の中にある問題を外在化させます。べてる式当事者研究ではホワイトボードを使います。ナラティブセラピーでは「物語」という外在化の手法を使っていると考えればいいのじゃないでしょうか。

ナラティブセラピーが日本に紹介されたのがいつなのか知りませんが、関連書の出版年を見ると20年ぐらい前であることがわかります。ちょうどそれは、日本で様々なジャンルの自助グループが誕生し、拡大しつつあった時期でした。

治療者・被治療者の上下関係を否定しているところ、語ることを重視する点など、自助グループの文化とナラティブセラピーの文化は近いものがありました。だから、自助グループがナラティブセラピーのピア版(当事者版)であると誤解されてしまったのではないか・・・。僕はそう思っているのです。その結果、自助グループ文化がナラティブ文化に誘導されてしまい、12ステップから離れていってしまったのではないか、・・・そんな風に考えています。

例えば、「他では言えないこと(恥ずかしいことや辛いこと)をグループの中で話せるようになることが大事だ」だとか、「自分の飲んで酷かったころの話ができると回復する」なんて言われたことはありませんか? こんな考え方にはナラティブ文化の影響を感じるんですけど、気のせいでしょうか?

(ミーティングで酷かったころの自分の話ができないと「正直になれないと回復しないぞ!」とか非難されちゃうんだうよなぁ。うまく話ができる人ばかりじゃないんだけど)

また、ライフストーリー形式の棚卸しなんて、まさにナラティブセラピーのピア版そのものじゃないかと思えてきます。話すほうはノートに書き溜めた自分の物語をひたすら話す。聞くほうはただ聞く・・・。30年ぐらい前の棚卸しの経験を聞くと、スポンサーはただ聞いているだけじゃなかったそうですが、いつの間に「ただ聞くだけ」になってしまったのでしょうか?

ビッグブックの12ステップをやってみて気づいたのは、12ステップでは物語を語ることは重視されていないことです。そして棚卸表を書くときは自分で自身を分析し、ステップ5で相手をするスポンサーは、スポンシーが正しい解釈へとたどり着くように手助けします。「正しさ」「望ましさ」の追求は12ステップ全体を貫く原理です。


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03月13日(火)
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