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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■巨人の肩に乗る
21世紀になって、ワリー・Pとかジョーやチャーリーの業績が日本のAAに紹介され、それを知った人たちは「どうも今まで俺たちがやってきたAAは、本来のAAの姿からずれていたらしい」ということに気がつきました。その時に、今までやってきたことはいったい何だったんだろう、という虚しさを感じなかった人はいないでしょう。
僕もその時にはすでに7年、8年AAを続けていたわけです。何事も改善のためには、過去の間違いは指摘されなければなりませんし、それに蓋をかぶせるわけにはいきません。けれど、過去は変えられないため、そこに虚しさをどうしても感じてしまいます。それは「もっと良いやり方をやっていたなら、もっと良くできたのに」という類の後悔です。
でも、変えられない過去は受け入れるほかなく、その心の痛みをこれからの行動を変えるエネルギーに変えていくしかありません。
けれど、時に他罰的な病んだ考えが浮かぶこともあります。知らなかったのは、教えてくれなかった連中が悪いのだと。「彼らが間違えたからいけなかったのだ」と過去の人たちを責める考え方です。この考え方には魅力があります。なにせ自分を無垢無実にできるのですから。自分が回復にてこずったのも、メンバーの定着率が悪くグループが成長しなかったのも、その間にたくさんのものを失ったのも、みんなみんな「先ゆく仲間」が悪いのだと。まるで悪いことはすべて先達の責任であるかのように。
おまけにこの考え方には、さらなるメリットもあります。「彼らは間違っていたが、私は正しい」という考えは、自分の正当性、優位性を証明してくれます。これから私が正しいことをして全体を変えていくというファンタジーは、まるで自分が救世主になったかような満足感を与えてくれます。
このような、「悪いことはすべて人のせい、自分は素晴らしい人」というのは依存症者が陥りやすい病的思考なのですが、それに自分で気づくのは難しいようです。
日本でビッグブックのステップが広まりだしたころ(つまり2004年ごろか)、こうした鼻につく考えが多かれ少なかれムーブメント全体を覆っていました。僕も例外ではありませんでした。「ビッグブックの集い」の集会で、過去の人たちを非難する話を堂々とする人もいました。これからは何もかも変えなければならないのだ!
当然そうした主張は、激しい非難の的となりました。先達の業績を否定し、自分の正当性、優位性を主張するばかりの話には、みんながうんざりしていました。「彼らは自分たちがビッグブックのステップで回復したと主張しているけれど、ちっとも回復してないじゃないか」というわけです。ビッグブックのやり方を日本で広めようと考えた人たちにとって、出鼻をくじかれる格好になりました。
いやそれどころか、完全に逆風が吹いていました。好意的に見てくれていた人たちの心も離れ始めました。その時になって初めて、自分たちの間違いに気づき、埋め合わせが始められました。謝罪を受け入れ、かえって好意的になってくれた人もいます。けれど、感情的にこじれてしまってどうしようもないケースも少なくありませんでした。ビッグブック・ムーブメントは、いまでのその影響を被っており、普及の足かせになっているように僕には感じられます。
ムーブメントの中には軌道修正できない人たちもいました。あくまで自分たちの正当性を主張する人たちは、次第に目立たなくなっていきました。回復していない見本を目立つところに置こうとは誰も思わないのですから。
アイザック・ニュートンの言葉に、
「私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それはたんに私が巨人の肩に乗っていたからです」
If I have been able to see further, it was only because I stood on the shoulders of giants.
というものがあります。彼が万有引力の法則を発見できたのは、先人たちの偉大な業績の上にわずかなものを足したに過ぎないと謙遜し、自らの天才性、偉人性を否定しました。
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12月13日(月)
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