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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■現実検討について(その1)
上司が自分だけに叱責を繰り返すのは、上司が自分を嫌いだからイジメているに違いない・・というような訴えも、よくよく職場で観察するように勧めれば、実は上司は他の社員にもまんべんなく注意をしており、たまたま自分のミスが多いせいで注意される機会が人より多目だっていうだけだったりします。これも、「上司に嫌われてイジメられている」という感じ方と、現実との違いが捉えられていないからです。

主観(感じ方)と事実が完全に一致することはないのでしょうが、両者の間に差があること、自分の感じ方が事実とは限らないことは、分かってなくちゃならのだと思うのです。


12ステップの立場から見ると、この「現実検討能力の乏しさ」は、恐れや恨みにつながることが多いと思われます。

先に挙げた例を見るまでもなく、存在しない被害体験を作り出したり、軽微な被害を過大に深刻に捉えたりして、相手に対する恐れや恨みを作り出していきます。あるいは被害は現実であっても、トラブルの発端が自分にあるのに、責任を相手に帰着させていたりします。棚卸しを聞き慣れた人に言わせれば、「アル中の恨みは、ほとんどが逆恨みに過ぎない」そうです。現実検討能力の乏しさが、逆恨みを実現していると言えます。

棚卸し表というのは、恨みという内的な事象を手がかりに、外の事象との軋轢を視覚化して表現するものです。文章ではなく表にすることで、視覚化がうながされ、見通しが良くなります。

人から現実検討能力が完全に失われることはないので、表がちゃんと書けていれば、表を見ただけで、自分のつまらない欲望を充足させるために、人との間に軋轢を招いていた自分の愚かしさが見えてきます。たいていの人は、自分自身に対してお尻がこそばゆくなるような恥ずかしさを憶え、相手に対して申し訳ないという気持ちも持つようになります。

ところが、この能力がさらに乏しくなると、表を書いて、それを見ても、自分の何が悪いのか把握できなくなります。どうも、人は精神的に具合が悪くなるほど、主観(感じ方)を補強するような事実ばかり集め、主観を否定する材料は捨ててしまうような、認知のフィルターを持っているようです。そして、具合が悪くなればなるほど、そのフィルターは性能をいかんなく発揮してくれます。

そんな場合には、棚卸し表の内容も、相手が悪く自分は被害者という内容に傾きがちです。表だけを頼りにすることはできません。「グループで疎外される」とか「上司に嫌われてイジメを受けている」という話しか書いてないのですから。だから、認知のフィルターなりバイアスの向こう側にある、より客観的な事実を探らなくちゃならないのですが、そのために必要なのは「常識」とか「考える力」なのでしょう。

(スポンサーであれカウンセラーであれ)少なくとも棚卸しを聞く側は、話す側より回復している必要があるでしょう。同じレベルだと、一緒になって「疎外する方が悪い」「イジメをするほうが悪い」という被害者ごっこを演じることになってしまい、「自分の側の掃除」をすることができなくなります。12ステップに取り組むもの同士は、お互いに助け合うと言っても、関係が対称であっては手助けにならないみたいです。

(続く)

10月31日(水)
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