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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■現実検討について(その2)
ジョー・マキューの弟子、ラリーさんの話の中に、深く感銘を受けたものがあります。これは、AAの本やジョーの本には書いてないことなので、ラリーさんの理解なのでしょう。
それは、感情に知性をコントロールさせるか、知性に感情をコントロールさせるか、という話でした。ステップ6の部分での話です。
多くの人は、自分は十分な知性を備えており、感情に振り回されずに、知性を使って理性的な判断を下すことができている、と信じています。しかし、知性が感情をコントロールできていたのなら、アディクションの罠に落ちることもなかったはずです。
大学を出ている人もいれば、もっと高い学歴を持つ人もいるでしょう。しかし、これまでの人生のどこかで感情に知性を支配させたゆえに、今の自分に至ったわけです。せっかくの知性が役に立つような生き方ができてこなかったのです。少なくともステップ5をきちんと終えた人には、そのことが分かるはずです。
だから、今後は、知性を活かして、知性に感情をコントロールさせる生き方をしなければなりません。
この場合、感情とは何を示しているのでしょうか。それについてラリーさんが詳しく語ることはありませんでした。ただ、察するに、ここでの感情とは、主観とか内的事象を指しているのでしょう。つまり、感じ方です。
私たちは、自分の「感じ方」が間違っているとは思いません。感じたことは真実であると思っており、それを積極的に疑うことをしません。そして、感じ方を補強するような材料を集めます。自分が集団から疎外されていると感じれば、疎外の原因を自分の中に勝手に探してしまいます。上司から嫌われていると思えば、嫌っている証拠をどんどん集めてしまいます。
感じことを否定するような材料に気がついても、それは捨てられてしまいます。集団が暖かく迎えてくれているとか、上司が公平であるという気づきは、無視されてしまいがちです。そのような材料集めとフィルタリングは、もちろん知性の働きによるものです。感情の正しさを証明するために、知性を使っている状態ですから、知性が感情に支配されてしまっているのです。
どんなに知能が高かろうが、これでは感情に振り回されるばかりで、知性的・理性的な生き方はできません。情動不安定と言われるばかりです。
知性を使って生きるためには、自分の「感じていること」を疑うしかありません。知性を使って感情をくつがえすことです。例えば、相手の言葉や行動に悪意が感じられたとしても、自分の感じ方が間違っているのではないかと点検してみる癖を付けるわけです。よく分からなければ、他の人と相談しても良い。実は相手は悪意なんか持っていないかもしれないし、少々の悪意があったとしても、相手の立場からすればやむを得ないと、自分が納得することもあるかもしれません。あるいは、そんな風に相手をさせたのは、自分の過去の行動が悪かったことに気づけるかも知れません。
神さまはせっかく私たちに知能を与えてくれたのですから、知能を使って主観と客観の違いを捉え、感じ方を訂正していく。それが「知性に感情をコントロールさせる」生き方であり、ソブラエティというものでしょう。感情に知性を支配させ、その知性が行動を支配し、他者との間に軋轢を生んでいく、という古い生き方と決別したいと願うのがステップ6です。
私たちは、自分が不愉快に思い、嫌っている相手は、向こうからも自分のことを嫌っているはずだ! という思い込みがあります。棚卸しをして自分の落ち度に気がつくと、「これでは相手に嫌われるのも当然だ」と思い、情けなくなります。相手に合わせる顔がないように感じますが、それでも埋め合わせで直接会いに行けと促されます。
そうして会ってみると、実は相手はこちらのことを心配していたのであって、憎まれていたのではないことが分かったりします。憎まれていたとしても、それは自分のやったことゆえだし。基本的に、人間というのは情と思いやりを備えたものだということを理解するようになります。
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11月01日(木)
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